「ライター選挙」実施中!ここをクリック

元祖「維新」と「大坂〈遷都〉構想」

元祖「維新」と「大坂〈遷都〉構想」

いよいよ来月1日に迫った大阪都構想の住民投票。国と地方の在り方に始まる地方行政改革のある種「着地点」として、地域政治に新しい風を吹き込むか否か、府市内外からの注目は絶えない。

同時に約8年間政権を担ってきた安倍政権の終焉に伴う永田町政治の変革も、大阪都構想の住民投票に無視できない影響を及ぼしている。都構想に前向きともいわれる菅総理の就任と、与党の一翼を担う公明党代表の大阪入りは確実に賛成派への追い風となっているだろう。

おとな研究所では「都構想特設サイト」を設置して議論の推進を呼びかけている。あと14日あまりとなったものの、今後さらに盛り上がりが予想されるためぜひともご覧いただきたい。

さて今日は、かつて存在した大坂《遷都》構想について扱いたいと思う。すなわち「行政改革」ではなく「天皇」に関わる問題だ。よって本記事は現在投開票に向けて最後の議論が行われている都構想ではなく、歴史上の議論に関するものである。

とはいっても、全く関係のない話ではない。

まず第一に、「都」とは何かを考えることに繋がる。日本が歴史的に「都」についてどのような性格を与えてきたかということが、大阪都構想にまつわる議論の一端を占めているということだ。まずもって、大阪都構想における「都」の位置づけは、「副首都」を含めたものである。詳しい説明は避けるが、都構想そのものは大阪市の解体首都機能の分立・緊急時の移転を想定するものでもあり、「都」という名称と天皇ないし行宮が存在しないことは矛盾しない。

さらに、権力の地理的な存在位置を変更することに伴う効果の問題でもある。一つの権力をどこに置くのか、どのように扱うのか、という問題はまさに今行われている議論そのものではないだろうか。

遠く大坂の地に思いを馳せつつ、東京の片隅で、かつて存在した「大坂遷都構想」について解説する。

歴史カテゴリの最新記事