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国民民主山尾氏らがはじめたイベント「Tokyo Dialogue」がおもしろい!

 国民民主党所属の山尾志桜里衆議院議員は、11月21日、武蔵野公会堂(吉祥寺)にて、ハフィントンポスト編集長・竹下隆一郎氏他2氏とともに、武蔵野公会堂で新イベント「Tokyo Dialogue」を開催した。このイベントは、従来の政治家のイベントと一線を画したおもしろい試みが、たくさん試されていた。このイベントは今回限りでなく、第2回以降の開催も予定していると山尾議員は述べていた。そこで今回は、Tokyo Dialogueの魅力・おもしろさを読者の皆さんに紹介したい。この記事によって、次回以降のTokyo Dialogueへの参加を検討される方がいらっしゃれば、筆者としても嬉しい。また、今後このイベントと同様の形で語り合うイベントが党派を超えて増えて行けば、政治参加の垣根も低くなるだろう。

Tokyo Dialogueとはなにか

Tokyo Dialogueとは多様な人間同士の「対話(Dialogue)」を通じて、様々な考え方や見え方を発見し、お互いの想いを共有することによって新しい行動を生み出すプロジェクトです。(イベント公式ページより)
https://tokyo-dialogue01.peatix.com/?lang=ja

 Tokyo Dialogueは、パネラーだけでなく、聴衆も加わった「対話」により、政治や社会に関する課題について様々な見え方・考え方を発見するというものである。他者の考え方に触れることを通して、自分の意見やものの見方が変わることもありうるということである。今までの考え方にはなかった新たな視点に気付くことが、このイベントのおもしろさの1つであるということだ。

 この趣旨でイベントを行うきっかけは、山尾議員の「議論」に対する考え方が変わったことにある。かつては、安倍前首相など、与党政治家との白熱した論戦によって名を馳せた山尾氏だが、「論戦的な言葉の交わし方に疲れたこともある。戦う議論みたいなものは大事である一方、若い人を怖がらせたり、ついて行けないなと思わせたこともある。政治と若い人・一般の人との距離を遠ざけているという効果もあると考えた。」と対立的な議論には悪い面もあることを指摘した。そのうえで、「相手を変えようとするのが議論。しかし、ニコニコ対話してみると自分が変わることができる。」と、今回のイベントの趣旨を説明した。

「一方通行」ではなく、「相互作用」

 政治家のイベント・集会と言えば、一方通行で政治家が話して、それにせいぜい質疑応答などがあるようなものが一般的である。聴衆はおとなしく聞いているだけなのが一般的である。しかし、Tokyo Dialogueでは、パネラー以外の参加者も、チャット機能を通して議論に参加することができるのだ。むしろ、チャット機能を通して、どんな意見でもいいので参加者が意見をどんどん出すことが推奨されていた。また、話す話題も、選択肢の中から人気なものを決めることになっていた。

 そして、チャットで投稿を行うと、パネラーが意見を拾い上げてくれる。つまり、参加者自身が、パネラーの対話や他の参加者のコメントにより新たな発見・気づきを得られるとともに、イベントの当事者として意見表明できるのである。コロナ感染対策のため、パネラー以外の参加者がマイクを持つことはなかったが、むしろチャットでリアルタイムで気軽に意見表明できるのは、画期的なことである。

 意見表明や質問が推奨されている上に、コメント機能で気軽に表明できるがゆえに、参加者の意見表明・質問などへのハードルが下がったためか、Tokyo Dialogueでは多くの参加者から多様な意見が出され、トークが盛り上がった。

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論点1 「人の支配」?コロナ自粛の同調圧力はこれで良いのか?

 ここからは、具体的にどのようなテーマが話し合われたかという点を簡単にまとめたい。

 まず、「法の支配と人の支配」が最初のテーマとして選ばれた。すなわち、日本では法による行動の規制ではなく同調圧力などで行動が規制されているという点に、山尾議員が問題意識をもっていた。

 山尾議員は、新型コロナ対策として大多数の人々がマスクをつけていること例にして、「誰かがつけなければいけないかを決めたかは判然としない。法律であればこのタイミングでの判断が正しくないと思えば、選挙で法律を作る人を変えることができる。あるいは、ちゃんとしたルールがあれば、裁判所にルールが憲法違反でないか問うことができる。『空気』に対しては裁判ができない。ルールは、顔の見えない人々の総体ではなく、人々が選んだ顔の見える人が作るものであってほしい」と述べ、「空気」や「同調圧力」によって行動を規制しようとしている現状に、問題提起を行った。

 山尾議員とともにパネリストを務めたカメラマンの初沢亜利氏も、「大して補償もしていない段階で、法律に頼らなくても、我々日本人は、みんなでマスクができる素晴らしい国民だという話になっている。それは気持ち悪い。」と重ねた。また、同氏は、自由に対する感覚という点で、日本は最も非民主主義国家の中国に近いという見方もあると紹介した。初沢氏は、コロナ下の東京の街の風景を撮影した写真集を、出版している。

参加者のコメントには、「これまでの東京はぼんやりとした紐帯の中で自由を謳歌してきたが、コロナによってその紐帯が寸断されていると思います」といったもの等があった。

初沢氏が撮影した写真も、イベント中に紹介された。

論点2 コロナと経済、そして芸術

 コロナ禍でアーティストをどう支えるかという問題についても、活発な話し合いが行われた。

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 山尾議員は、「作る内容の如何を問わず、社会で支えて行くということに、コンセンサスを得たい」と述べた。さらに、芸術的価値は、経済的価値としてそんまま図れるものではないことを念頭に、「アートは、経済的に価値があると言いたい、その反面、それを言ってしまえばおしまいであると思う」という悩みも披露した。

 パネリストを務めたアーティスト兼板橋区議会議員の南雲由子氏は、「板橋区の区議会の中でも、アートを支える政策を行ったことは、かなり大きなことだと思う。文化庁のお金が余っているのは、事務作業がむずかしかったり使いにくさという問題がある。議会・政治の場面でアートを語る場面で、今はアートに関わるすべての人の実態を掴めていないという問題がある。アートと政治は特に遠いと思っている。政治家と仲良くする必要はないが、アートは何らかの形で実態を可視化したり、政治との距離を近づけたりする必要がある。」などと述べた。

 このように、アートと政治の微妙な距離感のなかで、コロナ下・コロナ後でどのように政治が支援を行うのが良いかという点に論点が集中した。

まとめ

 筆者もいち参加者として、Tokyo Dialogueに参加した。このイベントの魅力だと私が考えた点を紹介したい。

 正解のない問いについて「答え」を考える機会であるという点である。コロナ下での経済と芸術であったり、法の支配と人の支配という問題は、簡単に0か100で振り切った立場を取りにくい問題である。また、これらの問題は社会でコンセンサスが取れていない問題でもあり、政治経済に予備知識を有する人もそうでない人も、このような問題について考えるのは、純粋に楽しいことではないか。奇しくも、山尾議員の所属する国民民主党のスローガン「つくろう、新しい答え」とも、重なって見える。

 次に、参加者全員が、当事者としてイベントに参加する機会が用意されているという点も魅力的である。通常のイベントでは、最後に質疑・応答・意見を述べる場があったとしても、発言の機会を得られない人の方が多数となることが通常である。しかし、Tokyo Dialogueでは、自発的に意見を出しやすい環境であった。つまり、どういう意見や質問を出そうか考えながら聞くことで、より当事者意識を持ってイベントに参加できるという魅力があるのだ。このような姿勢で政治や社会に参加する人を増やし、当事者意識を持って政治を発信している人が対話を楽しんでいる姿を見せることこそが、政治に対する関心を高めるのだろう。

 次にTokyo Dialogueが行われる際には、ぜひとも多くの方に参加してほしい。オンラインによる参加が可能となっているので、遠隔の方やコロナ感染が不安な方も、オンラインで気軽に参加していただきたい。

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