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同性婚の是非 地域や若者にできたこと、できること

同性婚の是非 地域や若者にできたこと、できること

世の中に存在する極めて重要な問題の中には、行政の決定や社会の風潮が、一部の人の人生を大きく左右することになりかねないものも多くある。テクノロジーやコミュニケーションツールの発達による情報の迅速化や利便性の向上に伴い、私たちは明らかに選択を迫られている。それは多様性を受け入れることであり、またその準備をすることだ。

4月20日、僕はあたらしい党学生部とPoliPoliの共同主催による「同性婚に関する意見交換会」に、学生部員として参加した。参加者にはPoliPoliの伊藤和真さんや、参議院議員であたらしい党代表の音喜多駿さんをはじめ、同性婚やパートナー条例について関わってきた方や弁護士の方も参加されたほか、学生部以外の高校生の参加も多かった。おとな研究所として取材したわけではないので個々の発言については触れないが、議論の内容や日本におけるLGBTの権利問題について、まとめていく。

「パートナーシップ制度」とはなにか

日本において、「同性婚」が認められていないことは多くの方がご存知の通りだ。これについて、そもそも憲法で想定されていないとする人もいる。この日の議論の中では、国会内で同性婚を与党による改憲の手段にされかねない、という懸念もあった。伝統的な家族形態を守るべきだ、と主張する国会議員がいることも事実である。民法や戸籍法など、関連する法令においても同性婚は明らかに想定されていない。同性婚が法的に認められていないということは、法定相続や親権、遺族年金なども認められていないということになる。これについては、事実婚などの異性間においても利用できる「パートナーシップ制度」の導入で代替可能だ、とする人もいるが、いずれにしても法整備が不十分であることは否めない。

「パートナーシップ制度」とは、カップルに対してそのパートナーシップが婚姻と同等であると認め、証明書を発行する制度だ。法律で権利が認められていない以上、せめて自治体独自でカップルだと証明できる書類を発行しようじゃないか、というわけである。

この「パートナーシップ制度」については、全国の自治体で多く導入されているという。2020年4月には新たに13の自治体が導入し、計47の自治体で認められている。特に政令指定都市では半数以上で、茨城と大阪では都道府県単位で条例が存在するそうだ。これらの名称は「パートナーシップ宣誓制度」であることが多い。

だがこれらは、「制度」というよりもむしろ事務的な取り扱いとしての位置づけだ、という意見もある。この証明書には法的拘束力がなく、自治体や住民の「配慮」は明記されていても、具体的な権利を付与することができないからである。しかしこれに意味がないわけではない。地域によってはこの予算が1万円程度の場所もあるといい、コストの割に意識改革につながることも期待できる。市民に一番近いのは地域だ。その効果は大きいだろう。

もう一つの「意識改革」

一方「意識改革」という点では、重要なもののうち一つに「教育」がある。法的に、同性愛がいわゆる「非行」から除外されたのは1990年代のことだ。当事者の児童への配慮は2000年代にようやく法整備されたが、確実に男女で振り分けられる(保健体育、家庭科、トイレ、恋愛に関する話題)ことが前提になる。

同性愛に関する教育についてはさらに遅れている。ほとんどの児童が異性愛を前提として教育を受けているという調査結果もあるという。多様性について全く記述がないわけではない。事実2017年からは高校の家庭科教科書で導入が始まっている。だが、これらはいわゆる「必修」ではない。教科書といっても副読本で、これは「教員の裁量」に任せているのだ。これでは十分な教育がされているとは言えない。

我が国において、明らかにLGBT問題のゴールは遠いと思われがちだ。だがそれはバラバラなゴールが多いだけで、案外近くにあったりするのかもしれない。選択肢が多いことは、そのぶん多様性を認めることにもなる。

一方で、制度がなければどうしようもない部分も多い。整備は現政権下では厳しい、とみる人もいる。教育の遅れも顕著だ。

変わっているわけではない。

最後に、僕自身の経験を書きたい。この日の議論の中で、自分が今、同性の相手と交際していることを打ち明けた人がいた。僕も触発されたが、その場で切り出す勇気はなかった。僕は過去に一度、同性の相手と交際していたことがある。今お付き合いしている人は異性だが、その前までは同性の相手も好きになり得た。LGBTの「B」、バイセクシュアルだ。このことを負い目に感じたことは無いし、仲のいい友人には普通に話している。特別性を感じないし、似たような友人も知っている。

時代は明らかに、制度や社会の風潮を飛び越えているのではないか。次世代の意識は、「変わっている」というより「もともとあたらしい」ものだからだ。      

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