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【野党共闘の時代】政権交代は再びあるのか#1

【野党共闘の時代】政権交代は再びあるのか#1

先日立憲の支持率低下に関連した記事を投稿させていただきましたが、現職議員の方を始め多くの皆様ににご覧いただいたという話を聞かせて頂きました。本当にありがとうございます!!(https://otonaken.com/archives/546

さて、話は今日のテーマに移ります。実は今回より連載ものに挑戦していきたいと思います!もちろん、専門?の選挙や政局の動向、政党史を絡めた話になってしまうのですが…それらの分野から一つ提起させていただきます。それは「このまま未来永劫自民党政権でよいのか」です。

ここでお断りを入れておきますが、決して反政権運動を展開しようという意図は一切ないです。しかし、冒頭で紹介した記事に関連しますが、我が国の野党は弱小勢力です。まさに自民一強の政治情勢。イデオロギーや政策論抜きで自民党に代わる勢力がこの国に存在するのか、と問われれば多くの国民が否。と答えるでしょう。(このままじゃだめだ)

支持率1桁で野党第一党、無党派層が4割を超える政治不信…これらを招いた要因は何だったのか。そして野党全体はこの安倍政権時代にどう歩んできたのか。これらを再考することにより「野党を強くする」方法が少しでも見えてくるのではないのでしょうか。

全部で何回構成になるのか分からない…しかも不定期掲載。近代野党史を振り返りつつ政権交代の可能性を考えていく。無計画で始まりますが、最後までお付き合いいただければと思います!!

第一回目となる今回は、近年の野党の歴史【前編】と題して初めていきます。

野党乱立…民主党政権不信の末(2012年~)

時は遡り民主党政権時代へ。鳩山、菅、野田内閣…と続くにつれて政権への不信感が高まりました。NHK世論調査によると、2012年(野田内閣)はすべての調査で不支持率が支持率を上回るなど、政権交代待ったなしの情勢でした。そして同年11月の野田総理vs安倍総裁の党首討論で解散表明。まさに政局が大きく動いた訳なのですが、これが今に続く野党低迷時代の始まりだったといっても間違いないと思います。

解散表明当時、10を超える国政政党が存在しました。そこから選挙が近づくにつれて野党乱立状態が深刻化していったのです。

・消費税増税反対で民主党を離党した小沢氏率いる「国民の生活が第一」が「新党きづな」と合流、さらにその後嘉田滋賀県知事(現参院議員)が結党した「日本未来の党」に合併

・減税日本が亀井静氏らの「反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党」と合流し、「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」を結党。後に「日本未来の党」へ合流。

・保守政党「たちあがれ日本」が石原慎太郎都知事を迎え、「太陽の党」に党名変更。後に橋下大阪市長率いる日本維新の会に合流。

政党間の大きな動きだけでもこれだけあります。各政党の選挙協力の話、議員単位での動きを語れば記事には書ききれません。当時小学5年だった僕はこの動きをワクワクしながら追ってました…

12年の衆院選では維新、未来、みんなの党などの「第三極」が大きく勢力を伸ばしました。民主党はもうダメ、自民もまだ信用できない層を固めて躍進。(現存する政党は維新だけになってしまいましたがね…)

選挙後には日本維新の会とみんなの党の対立、日本未来の党内で起きた小沢一派によるクーデター事件等大きな動きもありましたが、ここは省略します。

野党乱立の限界…(2013~)

総選挙を経て多くの野党が生き残ったワケですが、この12年衆院選前後で発生した「第二次新党ブーム」ともとれる情勢の後遺症が半年後の13年参院選で発症していまうのです。

野党が各選挙区に候補者を乱立させることにより、自民党が一人区で独り勝ち。(元々民主党が支持率回復を成すことができなかったこともありますがね…)そして何よりも残念な結果をもたらしたのは「維新・みんなの党」の対立です。2党の選挙区すみわけに失敗したことにより、茨城・東京・京都・福岡で両党候補が共倒れ。比例代表でも失速しました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E9%81%B8%E6%8C%99%E5%8C%BA
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BA%9C%E9%81%B8%E6%8C%99%E5%8C%BA

もちろん政治や選挙の世界では1+1=2となる可能性は高くはないですがね…

維新の分裂と共産党の躍進(2014年~)

第三極の存在感低下に追い打ちをかけるように、みんなの党では党内対立で江田幹事長が離党、結いの党の立ち上げ。さらに渡辺代表がDHC会長からの8億円を借り入れた問題が発覚。当時「8億の熊手を買った」と弁明をして話題になりました。その後渡辺氏は代表を辞任、みんなの党の支持率は激減しました。

一方、日本維新の会は橋下市長系と石原元都知事系間での対立が激化。新生「日本維新の会」と「次世代の党」に分党しました。その後、「日本維新の会」は江田氏率いる「結いの党」と合流し、「維新の党」を結党しました。

結党前から党名でもめる(橋下氏は飽きれて「あ党」でも「い党」でもいいから早くしてくれ)と発言したほど)など雲行きが怪しい状態からスタートしました。

政局が動いたのはまたもや年末。「アベノミクス解散」と称し、安倍総理は衆議院解散に打ってきたのです。

ここでも政党の離合集散の動きが見られました。まず、元祖第三極のみんなの党が解党。所属議員は民主党や維新の党、次世代の党などに。生活の党(日本未来の党が党名変更)は小沢代表が「生き残る道を選びなさい」と指令を出したこともあり一部の議員が民主党入党。

この14年衆院選は民主党が単独過半数を超える候補者を出すことができない、勝敗があらかじめ決まっていた選挙でした。

更に維新の党も支持率が低迷し、現有議席から半減するのではと予想が出るなど苦戦が想定されていました。しかし、みんなの党消滅や次世代の党の自滅を始めとして他の第三極が崩壊した恩恵もあり、1議席減の40議席を獲得しました。(この時の維新の党は民主党との事実上の選挙協力・選挙区すみわけを行っており、その効果も一定数見られた)

一方、共産党が現有議席を倍増させて躍進。沖縄1区で当選者を出すなど、善戦しました。特定秘密保護法等に反発した政権批判票の受け皿となったのです。

共産党の選挙戦法は後ほど考察をしていきたいと思いますが、この時の衆院選では小選挙区で700万票を超える得票を集めました。実はこの「共産党票」が後の「野党共闘」に深く関わってくるのです。

終わりに

ここまで、民主党政権の崩壊から14年衆院選までの野党の動きを見てきました。離合集散…今と全く変わらないですよね。歴史はくりかえるのか..?さてここで第一回目は終わりにさせていただきます。

次回(第二回)は15年安保法制~17年の希望の党騒動を始めとして直近の野党再編の動きを見ていきたいと思います。

野党史、そしてこの「野党共闘」がどのように発展してきたのか。更に野党再編に伴う選挙シミレーション(票読み)なども交えつつ、「政権交代は可能なのか」というタイトルでこれからも記事を展開していきます。

では、今回はここで。

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