おとな研究所は新しくなりました!

中東問題 解決への糸口を探る —ゲストライター記事

※この記事は、ゲストライターによる寄稿記事です。寄稿の応募はコチラから誰でも可能です。

最近となって、イスラエルとパレスチナとの対立が再び活発になり、中東問題が再燃している。

ユダヤ教・イスラム教・キリスト教、言わずと知れたこの3つの宗教の聖地・エルサレムのパレスチナ人が多く住む、東エルサレムで、イスラエルの裁判所が、パレスチナ家族への立ち退きを命じる判決を下したことにより、パレスチナ人系の武装勢力・ハマスが報復として、イスラエル側にロケット弾を発射した。多くのロケット弾はアイアンドームと呼ばれる、イスラエル軍の精密な迎撃システムにより迎撃されたが、一部は迎撃されず、イスラエル側に死傷者が発生した。

イスラエルもこれに反撃し、ハマスの本拠地がある、パレスチナ人自治区のガザ地区へ空爆を行った。ようやく停戦にこぎつけたものの、多数の死傷者やビルの倒壊が発生。中には幼い子どもが父と共に母や他の家族を空爆により失ってしまったという、痛ましい出来事も起こった。

イスラエル・パレスチナ 対立の歴史

イスラエルとパレスチナの対立は今に始まったことではない。

もともとイスラエル・パレスチナがある地域には、ユダヤ人(イスラエル人)とアラブ人(パレスチナ人)が共存していた。

そのうちのユダヤ人は、中東のみならず、ヨーロッパ・アフリカなどに分散して暮らしてきた。

<スポンサー>

第二次世界大戦時・当時のナチスドイツが、ユダヤ人を迫害し、民族浄化を試みた「ホロコースト」の悲劇から、ユダヤ人の祖先が暮らしてきた、現在のイスラエルの場所(当時はイギリスの植民地)に、ユダヤ人国家(現在のイスラエル)を建国すること、また同時にアラブ人(パレスチナ人)の国家を建国することになり、これを「パレスチナ分割決議」として、国連で決定された。

しかし、当時人口の過半数をアラブ人が占めていたことから、中東諸国がこの決議に異議を唱え、独立したてのイスラエルと戦争になった。

編集部注:Britannica Image Questより

そして、イスラエルが戦争に勝利し、アラブ人が多数居住していた地域(現在のパレスチナ人自治区)を占領し、アラブ人を追い出し、入植を始めた。

国連では、イスラエルに対し、占領地から撤退するよう度々決議が出されたが、イスラエル側は拒否し、占領を続けたため、度々衝突が起き、多くの犠牲者が発生した。また、パレスチナ人系の武装勢力が、世界各地でテロを起こし、国際問題になった。

しかしその後転機が訪れる。1993年、アメリカの仲介により、イスラエルと、パレスチナの事実上の支配政府であるパレスチナ人解放機構との間で、イスラエル内のヨルダン川西岸地域(エルサレムからおおよそ東側の地域)と、ガザ地区(イスラエル南部の沿岸部)からなる、アラブ人(パレスチナ人)の自治区の発足と、イスラエルが占領地から暫定的に撤退することを盛り込んだ、「オスロ合意」が締結された(当時合意を推進したイスラエル側とパレスチナ側の指導者はノーベル平和賞を受賞した)。

これで、和平も進むと思われたが、イスラエル側がその後も占領、入植を進めたことにより、和平は停滞、衝突が続いた。

関連記事:今だからこそ核シェルターが必要だ!

<スポンサー>

2つのパレスチナ人組織

最近の紛争を見ると、一見ハマスが、パレスチナ人の代表と思われるが、そうでもない。パレスチナにはもう一つパレスチナ人の組織がある。対イスラエル穏健派の「ファタハ」である。

ファタハは、以前は、武装組織を率いて、世界各地でテロを起こし、国際問題に発展させたが、その後態度を一変し、対イスラエル穏健派となった。オスロ合意を推進した当時のパレスチナ側の指導者と、現在のパレスチナ人自治区政府の指導者、アッバス議長は、このファタハに所属している。

自治区発足から、現在に至るまで、ファタハはパレスチナでの政権を維持したが、2006年、ファタハ関係者の汚職が発覚し、パレスチナでの議会総選挙でハマスに敗北した。その後ファタハ・ハマス間で衝突が起き、ヨルダン川西岸地域をファタハ、ガザ地区をハマスが支配し、パレスチナ人自治区が分断されてしまった。

多くの西側諸国は、ハマスを和平の交渉相手とせず、ファタハを交渉相手としてきたが、入植問題や、パレスチナ人難民のイスラエル内への帰還問題などの要因から、停滞してきた。また、ファタハ・ハマス間の和平交渉も進まず、ハマスの後ろにイランなどの東側諸国がいることから、西側諸国とハマスの間での和平も進んでいない。

中東問題の解決法は?

中東問題は、世界一解決が難しい問題とされるが、実はアメリカや日本など西側諸国はユダヤ人国家とパレスチナ人国家が共存する解決法を提示、支持しているが。イスラエルへのパレスチナ人帰還問題や、イスラエルによる入植地への扱い、エルサレムの扱い(イスラエルはエルサレムを分割できないユダヤ人国家の首都、パレスチナは東エルサレムを将来的なパレスチナ人国家の首都予定地としている)などから、まだ合意には至っていない。

ユダヤ人とパレスチナ人が連邦国家を組むという方法も有りだとは思うが、国旗や国歌などシンボルや、国家元首はイスラエルがなるのかアラブ人がなるのかなどで揉める気もする。

最後に

このように、解決法があっても、長い間和平が実現していない中東問題だが、この中東問題を解決するには、まずパレスチナ人の武装勢力はイスラエルへの武力行使をやめること、イスラエルも占領地への入植をやめることが必要となってくるだろう。

<スポンサー>

ライター:steel slow Twitter:@slow_steel 自己紹介:大阪府在住の中学生。政治経済と、国際関係(特にアジア関係)に興味あり。

※オリジナルの原稿を読みたい方はコチラからご覧ください。

1件のコメント