北区から都政に挑戦!維新・佐藤ことさんインタビュー 文字起こし(前編)

 おとな研究所は、昨年6月、都議補選に立候補した佐藤ことさん(維新・北区)のインタビュー記事を、公開した。時間がある方は、以下にURLを貼っているので、是非確認していただきたい。

参考:都議補選・北区 佐藤ことさん(維新・あたらしい党) インタビュー

 佐藤ことさんは、1年前と同様、7月の都議選でも北区から挑戦することを予定している。そこで、今回は、佐藤ことさんのインタビュー動画(対談相手:阿部司さん)の文字起こしを行う。忙しく動画を観る時間のない方も、こちらの記事で内容を確認していただきたい。

佐藤ことさんと阿部司さんが初めて会ったきっかけ

(以下、阿部司日本維新の会東京12区支部長を「阿部」、佐藤ことさんを「佐藤」と表記する。括弧部分は、筆者が注をつけている。)

阿部:特別ゲストをお呼びしています。初の女性ゲスト、日本維新の会都政対策委員の佐藤ことさんです。佐藤ことさん、初めて会ったのは3年前くらいかな。音喜多駿さんが主宰していた政治塾、そこであったのがきっかけだと思いますが、覚えていますか。

佐藤:あまり覚えてないです。同じ班とかになってないかな。

阿部:そういえばいたなという記憶がありまして。音喜多さんに阿部も(政治塾に)来てよと頼まれて、とりあえず参加をしたときに、そこからあたらしい党の議員さんも出てきてるんですけれど、そこが最初のきっかけだったかなと。

佐藤:私がすごく覚えているのは、統一選の前にどうやってチームを作っていくかという、チームビルディングの講師を阿部さんがやっていて、キングダムをたとえに使って、山の民を連れてくるんだみたいなことをやっていて、すごくおもしろい人だなと思いました。

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阿部:ありがとうございます。音喜多さんのあたらしい党結党のときに、予定候補者の人たちに研修講習をしたことがありまして、覚えてくれていました。当時は(佐藤さんが)都議選に出ることは全く知りませんでした。都議選の話もそうなんですが、今日はそもそも佐藤ことさんが、どういうバックグラウンドを持った人なのかをお伝えして良ければと思います。

佐藤ことさんの生い立ち

阿部:佐藤さん、浜松ご出身ということで、生まれたときから浜松なんですか?

佐藤:そうですね。ただ、私が育ったのは(旧)浜北市というところで、そのあと私が高校1年生くらいのときに合併して政令市の浜松市になったので、浜松市出身というのは抵抗があるというか、言いづらいです。知っている人からすると、浜松じゃないじゃんと言われるかもしれないですけれど、浜北は誰も知らないので、浜松出身ということでやらせてもらってます。ただ、生まれた病院は浜松市だったので、浜松市生まれということで間違いありません。

阿部:(佐藤さんは、)浜松の誇る進学校の浜松北高校に進んで。赤羽とかで街宣をしていると浜松北高校出身なんだよというおじいちゃんとかいますよね。それくらい各地で活躍されている方が多い浜松北高校出身です。

佐藤ことさんの大学時代について

阿部:大学がいきなりダブリン大学というところで、世界大学ランキングでかなりトップ層に位置する名門大学に通っていたそうですが、なんで海外大学に通われたんですか?

佐藤:もともと私の母親が発達障害の子の教育をやっていて、(私も)心理学をやりたいというのがずっとありました。ずっと国内の大学を、例えば筑波とか強いので考えていたのですが、母が英語がすごく苦手で、英語の研究論文とかを読まないと最新の情報が分からないと言っていました。私も英語が苦手だったので、国内の大学に行くときっと英語が苦手なままだろうと思って、本当に全くしゃべれなかったんだけど、行けばなんとかなるんじゃないかと。すごく楽観的だったので、行ったらしゃべるでしょと、海外大学に行くことに(なりました)。

阿部:それでうかるものなんですか。

佐藤:でも指定校推薦なんですよ。いくつかの大学が高校と提携していて、その中のひとつが私の高校だったので、一応指定校推薦と言う形で。イギリスとアイルランドの大学は、高校ですでに一般教養のレベルのことをやるので、大学からは専門課程しかないんですよ。一般教養レベルのことを外国人がやる「ファウンデンションコース」というものがあるんですけど、「ファウンデンションコース」に入れてもらって、その中の成績が何パーセントだと、どの大学のどの学部に入れるというのが決まっていました。私が入ったダブリン大学の心理学部は75パーセント取らないと入学できなかったんですけれど、最初のテストで26パーセントを取って…

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阿部:全然足りてない…

佐藤:いかに英語ができていなかったかということですけれど、そこから徐々に上げて行って、最後ちゃんと点数を満たして入学できることになりました。

阿部:すごい。無事「ファウンデーションコース」から心理学部に進んで、実際にどういった勉強をされたんですか。

佐藤:心理学といっても色んなものがあって、例えば臨床心理学とか、あと特に発達障害の子たちの研究だったりとか、進化心理学とか、パーソナリティの心理学とか、それをちょこちょこ取りつつ、あとゼミみたいなラボの授業を取りつつ、チュートリアルという教授と1対1で勉強したりしました。大学3年生のときのグループ研究は摂食障害についてやって、大学4年のときはインターネット依存症についての論文を書いて卒業しました。ですので、依存症関係を一番勉強しました。

阿部:あの有名な図書館で勉強しましたか?

佐藤:あの図書館は普段使わないような本が多いです。有名な図書館があってですね、スターウォーズの要塞か何かのモデルになったということなんですが…

トリニティカレッジ

阿部:トリニティカレッジですね、僕も観光で行ったことがあります。

参考:アイルランドが誇る美しい図書館は『スター・ウォーズ』に影響を与えた?

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佐藤:そこは大学の学生だとタダで入れるので、結構観光で何回も行きました。

阿部:観光客だと高い。普通に10ユーロ以上取られました。

佐藤:でも学生と一緒に行くと4人まで無料なんですよ。だから友達とか行きたい人を連れて行ったりしてよく行きました。

阿部:心理系で発達障害のことを学んで、いきなり身一つで全くちがうことを専門的に学んで、一番の学びってなんでしたか?思い出深い出来事でもいいですけれど。

佐藤:サークルという名前ではないですが、大学にソサエティというものがあって、ジャパニーズソサエティで日本の学生中心になって日本文化を学校内に広めようというイベントをやったりとかしていました。私はその中で日本語の先生をずっとやっていて、2、3個くらいのコースを別々でやっていました。大学2年生から4年生まで日本語を教えていたり、4年生ではチアというサークル長みたいなものをやっていました。けれでも、3年生のときに(東日本大)震災があって、自粛ムードがすごくて、イベントとかもやめようとなってしまいました。

阿部:震災が起きたから?東日本大震災でダブリンも自粛?

佐藤:私たちだけかもしれないですけど、みんなを呼んでワイワイできるような精神じゃないからやめようとなったんです。代わりにチャリティーイベントをやったりとか、警察から許可をもらって路上で募金活動をしたりしました。

阿部:すごくたくさん集めたんですよね。

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佐藤:300万位私だけでなくみんなで、いろんな大学の子たちが集まって。そういう震災のときのイベントだったりとか、大学4年生のときは役員が全員アイルランド人だったので、そのなかで日本人だったら言わなくても気を回してやってくれるようなことも全然やってくれなくて。やっぱり言われてないからやらなかったと言われて、そのときマネジメントの難しさとか、多文化の中でのコミュニケーションの仕方を、すごく学んだなと思いました。こういうのは、日本人ならではの文化だったんだと感じて、それはその後の人生の中でも、いろんな文化の人たちと働くときにいつも思い出しますね。

阿部:(佐藤さんは)多様性を大事にしていると言っているけど、その一つの原点でもあるということですね。障害を抱えた方々とか、国際的なバックグラウンドを持った人たちと、いかに楽しく調和して過ごしていくかということを学んだということですね。

日本帰国後-広告代理店とゼネラルパートナーズでの経験

阿部:ダブリン大学を卒業してから日本に帰ってきて、最初広告代理店に入って経験を積んだ後、障害者就労支援の事業を営んでいるゼネラルパートナーズに進みます。そこで、広報の責任者としてチームをマネージメントする立場として、お仕事をされてきたと聞いていますが、広告代理店からゼネラルパートナーズに転じた経緯ですとか、どんな思いだったのかとか、ゼネラルパートナーズでどんな仕事をしていたのかとか、ちょっと教えてもらえますか?

佐藤:最初広告代理店をやめて福祉の世界に入ろうとは思っていたわけではなくて、結構後ろ向きな理由で転職活動していました。2016年に子どもが生まれたのですが、その後2017年の4月に復職しているんですね。やっぱり復帰してみるとすごく時間が限られてしまってて、例えば私は子どもを7時半くらいに保育園に預けて、8時半に出社して、お迎えが17時には迎えに行かなきゃいけなかったので、16時には会社を出ないといけない。そうなると、8時半から16時って、広告代理店の人は結構朝遅い人が多いので、大体打ち合わせとか11時12時くらいからぽつぽつ入り始めて、「16時に帰る」と言うと、「さっきお昼だったじゃん」となってしまう。そのころ夜21時、22時くらいまで仕事やっているような時代だったので、リモートワークもそのころ全然浸透していなくて、企画をやるときはみんなで同じテーブルに座ってご飯でも食べながらやるという感じでした。働く時間がとにかく少なくて、責任ある立場とかに行けるイメージが全くつかなくなってしまいました。

 時間がここまで限られてしまうのであれば、もう少し専門性を絞ってやったほうがいいかなと、事業会社に興味が出て転職活動していました。その中で偶然ゼネラルパートナーズを紹介されて、その時にそういえば私福祉に興味が合ったと思い出して、そうだ私こういうのやりたいなと思い、転職しました。

 その中で転職をしてからは、入った時にちょうどゼネラルパートナーズという会社が、ベンチャー的なゴリゴリ成長していくことを期待して入っている人もいて、カルチャー的に中小企業、福祉でやってきたところからソーシャル、ベンチャーのところに行く中で、社員に温度差があるなと思いました。あと拠点もたくさんあったので、融合させていったほうがいいなと思いました。どういう風に融合させて行こうかなということで、それまで私は大学時代にイベントをやったりするのが好きだったので、イベントやレクリエーションを一緒にやったり、社外向けだけでなく社員向けに一体感を高めるために社員の紹介記事みたいなものをいっぱい作ったり。

阿部:社外広報と社内広報を兼ねて。

佐藤:一粒で二度美味しい。一個でやっちゃおうというのに、力を入れてきました。

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阿部:広告代理店から違う環境に入って、チームを率いるっていうことでもなかなか難しさもあったと思いますが、その辺はどうですか?

佐藤:チームを率いることは、いまだに難しいと思います。ただやっぱり、私がやりたいチームと言うのは、トップダウンでこの人が言ったからと言って全員それに従うマイクロマネジメントというよりは、本当に一人一人が考えてやっていくことが結果として会社として良かったねみたいになっていくことを、すごく信じてやっていました。気を使っていたのは体調、孤独にならないこととか。みんなリモートワークだったりとか、病気を持っていたり障害を持っていたり育児していたりというメンバーが多かったので、みんながバラバラにならないように週に1回は体調どう?みたいなものを聞いたりとか、それぞれも言いやすいように、心理的安全性のあるチーム作りというのは、心がけてはやっていたつもりですが、難しいですね。

阿部:修行中かと。

佐藤:まだまだ修行中です。

阿部:ゼネラルパートナーズも、福祉とか多様性を大事にするので、障害をもった方とか精神疾患を抱えた方も社内にもいらっしゃいますよね。そういった方々も働きやすい環境づくりをしてきたと。

佐藤:心がけてはやってきましたけど、なかなか正解が何かと言うのは難しいところではありますよね。ただ、その試行錯誤の中でみんなで言い合って改善しやすいような雰囲気になったらいいなと思っていました。

阿部:大企業とかでもメンタルを壊してしまう人が本当に多いので、その心理的安全性を担保するとか、いろんなコンディションでも働きやすい会社づくりが進んでいくといいですね。そして佐藤ことさんはプロなので、ぜひとも東京都と推進していただきたい。

佐藤:その時もコロナじゃなかったので、リモートワークをしているチームってそんなに多くなかったのですが、私たちのチームはもともと、病気、障害、育児とかいろいろな理由でそういう環境を整えていると、そのあとコロナになったときに全然変わらずに仕事できました。そういう意味でも多様性は大事だし私たちは先取りしていたのだと思いました。

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阿部:時代をリードしていたのですね。

 

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大学院生2年目です。法律や経済など幅広く投稿します。

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