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MMT:空論か救世主か?


「近代貨幣理論」

この名前だけでは、つまらない経済学理論に聞こえるかもしれない。だが、マクロ経済学者の間では、現代金融論はつまらないどころが、熱い議論の的になりつつある。MMT研究の第一人者であるステファニー・ケルトン氏は、上院議員であり大統領候補バーニー・サンダースや、アレクサンドリア・オカシオ・コルテス下院議員などに、グリーン・ニューディールの費用問題に関してMMTの採用を提言している。また、日本でもれいわ新選組などに政党がこれに近い主張を繰り返している。MMTを主張する政治家が増えるにつれ、MMTに関する議論も白熱し始めている。

ノーベル賞受賞者の経済学者ポール・クルーグマン氏はMMTの信奉者が「カルビンボール」(漫画「カルビンとホッブス」に登場する、気まぐれにルールを変更できるゲーム)をしていると苦言を呈しており、元財務長官でハーバード大学講師のラリー・サマーズ氏は最近、MMTを新しい「ブードゥー(滅茶苦茶な)経済学」と批判した。  

MMT論者の主張は範囲が広く、定量化されていない場合が多く、議論するのは難しい。しかし、MMT論がこれ程主張される様になったのは、主流派経済学の責任なのではないか?

異端児MMT

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環境経済政策「グリーン・ニュー・ディール」ではMMTを財政根拠としている。

MMTのルーツは異端経済学に辿られる。戦後経済学は、近代マクロ経済学の創始者であるケインズの流れを汲みながら古典派経済学と激しく議論し、双方がある程度合意できるコンセンサスを形成してきた。このコンセンサスは、最終的に数学化されたアメリカ型の「新古典派総合」と呼ばれるものとなり、事実上主流派経済学となった。しかし、この統合に反発したケインズ主義原理主義者は「ポスト・ケインズ主義」というカテゴリーにまとめられ、亜流、異端児として扱われるようになった。MMTはポストケインズ経済学の新しい形と言う事となる。

MMTの考えは正確に表す事が難しく、時に何が議論対象かが理解できないとの苦言が経済学者から寄せられる。この一番大きな要因としては、MMTに数式やモデルは存在しない事に寄与する。しかし、MMTにはいくつかの中心的な考え方がある。

  • 自国通貨を発行する国は、いつでもお金を刷って債権者に支払うことができるので、デフォルト(債務不履行)に追い込まれることはない。(これには主流派の一部も賛同している)
  • 新しいお金は政府の支出を賄うことができ、税は税源でない。
  • 政府は予算(財政政策)を使って需要を管理し、完全雇用を維持しなければならない(主流派経済学では中央銀行が管理する金融政策の仕事となっている)。
  • 政府の支出を制限する主な要因は、債券市場の雰囲気ではなく、失業者のような十分に利用されていない資源の利用可能性である。
  • しかし、経済がすでに限界に達しているときに支出を増やすと、急激なインフレーションを引き起こす可能性があるので、税でインフレを統制する。



即ちMMT派の考えでは税金の目的は、インフレを抑えることとなる。支出はアクセルであり、課税はブレーキである。失業率が低く、物価が安定していれば、構造的な財政赤字は容認して良いと言う事だ。

政府が支出した分は、最終的には税金で賄わなければならないという主流経済学の考え方を知っている人には、この考え方は奇妙に聞こえるだろう。この奇妙さは、MMT学者の型破りな議論手法のせいでもある。

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MMT論者は中央銀行の監督範囲の多くを中央政府に移そうとしている。(写真は米FRB)

対話は可能なのか?

MMT論者と話をするとき、常にゴールポストが動かされ、まともに議論できないと感じる場合も多いだろう。また、MMTは数学モデルをほとんど使わないため、コミュニケーションはさらに難しくなる。経済学の常識として、高度な数学を巧に操り、現象を説明する主流派にとって、数式の使用を嫌うことは、知的劣等感の表れか、精査を避けるための手段と感じられることすらある。

しかし、数式やモデルを使用しない事はMMTが経済理論と言うわけではなく、単純な現状批判である可能性を反映しているかもしれない。中央銀行は、現状の金利がゼロに近すぎではなければ、完全雇用を達成するために金利を下げる事が可能だ。だがMMT論者は完全雇用を達成するには政府支出の方が優れていると考えている。金融政策は、銀行と金融市場を介して機能するが、市場がパニックに陥ると、このメカニズムが弱まる。金利の引き下げは、企業や家計の借り入れを促進することで経済を活性化させるが、それによって民間部門の負債が危険なレベルになる可能性はある。実際に、政府の支出はこの問題は回避する事ができる。

同様に、利上げはインフレを抑制する。しかし、利上げは非自発的な失業を誘発する可能性がある。その代わりに、国は独占企業を解体して供給制約を緩和したり、大企業に増税を課したりすることで、手に負えないブームを抑制することができる、とMMT論者は主張する。

価値観の違い

経済学者は、もちろん自分たちのモデルには欠点があり、金融政策が万能ではないことを認識している。しかし基本的な前提としてマクロ経済政策は、市場が資源を配分するのを助けるために、可能な限り軽いタッチで経済を安定させるべきだと考えている。MMT論者はこの前提に疑問を持ち、近年の経済動向が彼らの主張を後押ししているのだろう。

この争いは、お互いの主張を検証することで解決できない。マクロ経済学は実験室の科学者のように実験を行うことができず、自然のデータに頼るしかない。経済統計の分析は、膨大な数の変数により複雑となり、各変数の解析に莫大なリソースがかかる。その為、マクロ経済の議論では、政策が実践されない限り、勝者と敗者は生まれない傾向にある。結果的に、ポスト・ケインズ派の政策に採用されなかったが故に、否定される事はなかった。

主流派も反省すべき

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マネタリズムが生まれたシカゴ大学

元祖ケインズ主義は、1970年代のスタグフレーションによって、大幅な修正を余儀なくされた。その後、ミルトン・フリードマン氏が構築したマネタリズム理論が支持されるようになったが、マネーサプライとインフレ率に関係性が薄まり、こちらも修正された。

米国のミルトン・フリードマンを中心とする経済学で、ケインズ的な裁量的経済政策に反対し、新古典派のように自由な市場に経済を委ねるべきであり、政策は物価安定のため貨幣量の増加率を一定率に固定するにとどめよ、という考え。

出典:コトバンクーマネタリズム

結果的に古典派とケインズ主義者は再結集して「新しい新古典派」モデルを構築し、最近の分析の主力となった。しかしながら、未だに根強い批判もある。この批判を基に(MMTの兄弟理論である)高圧経済論者やMMT論者は現在米国で彼等がのぞむ政策を推進しているが、早速インフレ問題に悩まされている。

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関連記事:高圧経済の限界ー積極財政による高インフレ、低成長、不景気

MMTには明らかな問題と欠陥があり、それが既に見え始めている。だが、もしMMTが国政の場において支持を得て、政策として採用されるなら単に滅茶苦茶と批判するだけでは済まない。論理的にMMT論者と議論する事は確かに難しいだが、主流派経済学はもう少しMMT反論を行うべきなのではないか?

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