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立憲・中谷議員ら追及 こども家庭庁名称問題 国会で初論戦 ―こども政策特集【5】

いよいよ、山場を迎えるテーマである。

現在国会の衆議院内閣委員会では、政府提出の「こども家庭庁設置法案」と、与野党が提出したこども関連法案が審議されている。

この政府提出「こども家庭庁設置法案」とは言うまでもなく、我が国のこども政策を統括・調整する省庁として新たに「こども家庭庁」を設置するものだ。

本シリーズ「こども政策特集」ではこれまで何度も、この「こども家庭庁」の名称問題を取り扱ってきた。

関連記事:「こども家庭庁」への名称変更を絶対に認めてはいけない理由 -こども政策特集【1】

関連記事:なぜ「こども庁」であるべきなのか ”当事者の声”を聞く姿勢の大切さ ーこども政策特集【3】

名称問題それ自体の経緯は、上記2記事を参照いただきたい。既に法案は閣議決定され、議論の場が国会へと移った。

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この記事では、4月22日に行われた初論戦の背景と、経過を解説したいと思う。

立憲民主党・中谷一馬議員の問題提起

まずこの問題を提起したのは、立憲民主党の中谷一馬衆議院議員だった。

質問にいたった背景

実は中谷議員は、この「こども家庭庁」の名称を「こども庁」に戻してほしいと活動している、虐待サバイバーの風間暁氏や筆者から、実に3万筆を超える署名を受け取っている。

中谷議員の幼少期から青年期も、実に壮絶なものだった。

中谷議員は11歳の時に両親の離婚を経験し、母親と5歳と2歳の妹と4人で暮らすことになりました。母は一日中働きましたが、生活は厳しくなる一方だったといいます。

しかしその結果、母はある時体調を崩し、生活保護を受けることになりました。中谷さんは家計を助けるために中卒で働き始めましたが、将来に夢を持てなかったと言います。

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中谷議員は自らの青年期を「貧困ヤンキー」と称しています。これは貧困が原因で既存のレールから外れてしまった若者のことを言います。貧困が原因で十分な教育を受けられなかった結果、就労状況が不安定になってしまうという悪循環に陥っていたのです。

【政治家インタビュー#2】中谷一馬議員に聞く!前編|おとな研究所

中卒で社会へ出たのものの、アンダーグラウンドへと入ってしまった自らの青年期を振り返り、議員は次のように話していた。

「この国は、見えないモノに蓋をする制度設計が平然と敷かれた社会になってしまっています。私自身も、”自分の親”という環境で苦労した子どもが政治の優先順位を下げられてしまう現実を目の当たりにし、社会が子どもを見捨てることの連鎖を強く感じているのです。どんな子どもも社会で受け入れていくプログラムで、悪循環をなくしていく、タブー視されてきた議論にメスをいれることが大切です。」

元はと言えば、昨年初頭の与党内における勉強会の時点で仮称されていたのは「子ども家庭庁」という名称だった。これに異を唱えたのが、講師として招かれた風間暁氏。虐待サバイバーの観点から、児相や社会養護の問題点と新庁設置の必要性を説明するとともに、「家庭」という言葉が持つスティグマを懸念したのだ。

すべてのこどもにとって、家庭や親が「最善の居場所」とは限らないのである。

これを受け、勉強会メンバーの山田太郎参議院議員、自見花子参議院議員が「こども庁」へと変更し、政府への要望書としてまとめていった。

昨年11月の段階で自民党は明らかに名称を「こども庁」として検討しており、「この名称であれば」ということでヒヤリングなどに協力した有識者・当事者も多かったのである。

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にもかかわらず、突如名称は”こども家庭庁”となった。名称は「変更」されたというより「逆行」したと言った方が正しいのである。

中谷議員は語る。

「子ども自身が意思決定をすることの大切さ、だと思います。それはクリーンかつファクトベースでなければなりません。「家庭」という言葉に問題意識を持つ声がありながら、こども家庭庁という名称に至った意思決定プロセスが、ボトムアップではなく民主主義としておかしい状況であることは、言うまでもないのです。」

「こども庁」の名称を求める人間にとって、こんなにも心強い言葉はなかった。そして実際にその声は、野田聖子こども担当大臣へぶつけられることになる。

質疑の経過

まず中谷議員は自身に第二子が誕生することを述べた上で、子育てと仕事の両立の難しさ、子ども政策の重要性について触れた。

その上で、「家庭が子どもを支えきれない現状がある」と提起。幅広い国民からの意見があったにも関わらず、なぜ「こども家庭庁」という名称にしたのかという趣旨の質問を行った。

これに対し野田大臣は、「国連の”児童の権利条約”前文には、”家庭環境のもと”で子どもは成長するとされている。親は、親としての教育を受けて親になるわけではない。虐待などが起きた場合、その家庭にずっといるのではなく、新たな居場所としての家庭を整備するべきと考える。子どもは”どこか”にいなければならない。そのどこかが”家庭”であるということだ」と答弁した。

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大臣が”児童の権利条約”を引用したため、中谷議員は同条約の20条1項を引用した。

一時的若しくは恒久的にその家庭環境を奪われた児童又は児童自身の最善の利益にかんがみその家庭環境にとどまることが認められない児童は、国が与える特別の保護及び援助を受ける権利を有する。」

「児童の権利に関する条約」

これには、大臣の答弁も詰まった。「基本的には国内法で対応する」と応じるが、中谷議員は「本当は大臣もこども庁のほうがいいのではないか。”家庭”を加えることで、こども中心のコンセプトがぼやけるのでは。家庭の重要性は理解するが、名は体を表す。シンプルな名称がいいのではないのか。」と畳み掛ける。

野田大臣も負けじと、「私は名前がというよりも中身にこだわりを持っている。我が国は条約批准後も法整備が進まず、コロナ禍がきっかけでようやく進んだ。「こども」という名称が入ればいいのではないのか。条約でも家庭が前提となっている。いきなり施設ではないし、いきなり学校ではない。まずは家庭が居場所、という理解だ。ムキになっているわけではなく、子どもたちの困難対処への実効性に理解を求めたい。」と答弁した。

中谷議員は、「中身も外見も重要だと考える。いきなり家庭、が難しい子どもも居る。私自身も中卒で社会に出て苦労した経験があり、そういう家庭環境で育った子が周りに多かった。この名称では、そうした子どもが見えないように表現されているのではないのか。問題意識を持っている方は多く、3万筆の署名がある。国民がより親しみを持つ名称のほうがいいと考えるが、国民意見はどう受け止めるか。」と追及。

野田大臣は「私も様々な意見を聞いた。国民の方々からの意見は受け止めている。」と繰り返したが、中谷議員は「少なくとも私の周りでは「こども家庭庁の方がいい」という意見は聞いたことがない。一部の偉い人たちの意見であり、岸田内閣の「聞く姿勢」と矛盾する。「こども家庭庁」は超大人目線の名称であり、アンケートなど、柔軟な国民の意見募集が必要ではないのか。」と更に語気を強めた。

これに野田大臣が「現在の名称も、国民の代表者からの意見によるコンセンサスだ。コンセプトはあくまで「こどもまんなか」であり、子どもは誰かの支えのもとで生きていく。その”誰か”は、世間一般的には家庭であり、そこを連動させたほうが、何をするかがわかりやすい。」と答えたところで、名称に関するやり取りは終わった。

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議員の持ち時間の実に3分の1、15分に渡るやり取りが行われた。この後中谷議員は子ども関連予算やこども基本法について質問したが、野田大臣や事務方からは抽象的で中性的な答弁しか返って来ず、「中身が大事」とした先の言葉はあまりに空虚だった。

こども関連予算や基本法については、後日立憲民主党案を解説する際に触れたいと思う。

日本維新の会・阿部司議員の問題提起

続いてこの問題を取り上げたのは、日本維新の会の阿部司衆議院議員であった。

風間氏らは、日本維新の会の国会議員に対しても署名の提出を行っている。

質問はこれを受けてものだが、実は日本維新の会はこの法案に対して独自案を提出しており、風間氏からはこの法案に対して懸念も示されている。

「子どもの権利」より省庁再編? 維新案「子ども育成基本法案」3つの問題点 ―こども政策特集【4】

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詳しくは上記記事をご参照いただきたい。

質疑の経過

阿部議員も中谷議員と同様に、まず「こども家庭庁」として理由を質問。野田大臣からは同様の答弁が返ってくる。

「国連の”児童の権利条約”前文には、”家庭環境のもと”で子どもは成長するとされている。親は、親としての教育を受けて親になるわけではない。虐待などが起きた場合、その家庭にずっといるのではなく、新たな居場所としての家庭を整備するべきと考える。子どもは”どこか”にいなければならない。そのどこかが”家庭”であるということだ」

これに阿部氏も「家庭の重要性は理解する」と応じつつ、ヤングケアラーや虐待経験者は「家庭」という言葉にはネガティブな印象があると切り出した。

その上で、家庭に関する負のイメージを持った虐待サバイバーからの不安や不満の声が届いていること、「こども庁」創設を目指してきた民間団体からの反発の声が上がっていることに言及。

一言で「家庭」と言ってもこども1人1人に様々な事情がある現代。法案が「家庭」を強調することの不安や不満が上がっている事態に、所管大臣として明確なメッセージや説明が重要なのではないかと迫った。

これに野田大臣も「説明の機会を与えていただき感謝する」としたうえで、「”こども家庭庁”という名称は、家庭における子どもの成長を社会全体で支えるというもの。子育ての負担を家庭に押し付けようという趣旨では絶対にない。家庭にとらわれることなく、公的な責任において国が家庭を支援することを中心としたもの。様々な子ども・子育て当事者の声を、注視し説明していきたい。」と答えた。

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阿部議員は「政府の方針が「家庭」の言葉に引っ張られないようにしていただきたい。」と念押しし、名称のやり取りは終わった。

野党が追及していくことの意義

阿部議員の質問に対する野田大臣の「子育ての負担を家庭に押し付けようという趣旨では絶対にない。家庭にとらわれることなく、公的な責任において国が家庭を支援することを中心としたもの。様々な子ども・子育て当事者の声を、注視し説明していきたい。」という答弁は、極めて重要なものだろう。

これまで政府与党は一貫して、「こども家庭庁」への名称逆行についての説明を避けてきた。明らかに、後ろめたいものがあったと取らざるをえない。そうした中、野党からの質問である程度踏み込んだ答弁をしたことに関して、様々な子ども・子育て当事者としての立場から、様々な評価もあると思う。

だが筆者は、中谷・阿部両議員の委員会質疑をある程度評価したい。与党の説明不足を補うことは、本来の野党の役割の一つである。こと子ども政策に関して、より前傾姿勢で有識者・当事者の声を聴く必要があるのだ。

筆者もおとな研究所も、引き続き本件には注目していくと同時に、野党のスタンスについても積極的に取り上げていきたい。

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