【政治家インタビュー#2】中谷一馬議員に聞く!前編

おとな研究所の “政治家インタビュー”。この企画は不定期で実施していき、積極的に記事化をしていきます。第二弾となる今回は、立憲民主党所属の中谷一馬衆院議員にお話を伺いました。

中谷一馬衆院議員…宮崎県児湯郡出身、神奈川県川崎市育ち。11歳の時に両親が離婚し、母子家庭で育つ。呉竹鍼灸柔整専門学校で柔道整復師の資格を取得したのち、慶應義塾大学に進学。デジタルハリウッド大学大学院を首席で修了。DCM修士号の学位を取得すると同時に、IT企業gumiの創業に参画。菅直人の秘書を3年務めたのち、神奈川県議会議員選に立候補して当選。2014年、2017年の衆院選では自民党の鈴木馨祐氏に敗れるも、2017年の衆院選では比例復活で初当選。現在は立憲民主党青年局長も務めるなど幅広く活動中。

生い立ちについて

なぜ横浜で立候補したのか

中谷議員は宮崎県児湯郡生まれ川崎育ちですが、衆議院選挙では神奈川7区(横浜市港北区・都筑区)から立候補しています。まずこの理由をお尋ねしました。

中谷議員は幼少期、両親が離婚などにより母が親族を頼ったため引っ越しを繰り返したそうです。その結果幼稚園2園、小学校4校、中学校2校を転々としました。

そしてその間最も長く暮らしたのが、横浜市の日吉エリア。また中谷議員は日吉中学校を卒業しており、神奈川7区は多くの縁があったことから立候補したとのことでした。

政治家になろうと思ったきっかけ

中谷議員は11歳の時に両親の離婚を経験し、母親と5歳と2歳の妹と4人で暮らすことになりました。母は一日中働きましたが、生活は厳しくなる一方だったといいます。

しかしその結果、母はある時体調を崩し、生活保護を受けることになりました。中谷さんは家計を助けるために中卒で働き始めましたが、将来に夢を持てなかったと言います。

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中谷議員は自らの青年期を「貧困ヤンキー」と称しています。これは貧困が原因で既存のレールから外れてしまった若者のことを言います。貧困が原因で十分な教育を受けられなかった結果、就労状況が不安定になってしまうという悪循環に陥っていたのです。

当時の中谷議員自身も、同じような環境で悩んでいたやんちゃ坊主の仲間と集うようになり、代表格に押し上げられるなどいわゆる“落ちこぼれ”だったと言います。その日を過ごすことで精いっぱいで、社会に対する不満を口にしていたそうです。

そんなころ、中谷さんは一枚の絵画に出会います。

フランスの画家であるポール・ゴーギャンの「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこに行くのか」という作品を見て、当時の中谷議員は「私は何のために生まれてきて、この一時代で何を成して、どう死んでいくのだろう」と漠然と思ったそうです。

今まで世の中に対し矛盾を感じる場面が環境的にも多く、不満をぶちまけていましたが、ある時「不平不満に口を動かしても何も変わらない」と気づいたそうです。そして、「たった一度の人生ならば、世のため、人のために役立てる人間でありたい」という思いを強く抱くようになったそうです。

そして、自分たちの生きる時代は自分たちで世の中を変える必要があると感じ、政治家になることを決めたそうです。

学生生活について

続いて、どのような学生生活を過ごしていたのかお尋ねしました。

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小学校

中谷さんは母が親族を頼り引っ越しを繰り返した影響で、小学校4つを転々としました。転校を繰り返す中でコミュニケーション能力や環境適応能力、順応性が培われていったといいます。

中谷議員は「小学5年で東京から大阪へ移ったことが一番キツかった」と振り返っていました。大阪弁を喋ることができず、阪神タイガースや近鉄バファローズファンではなかったため、周囲からからかわれ、「村八分状態だった」そうです。

当時の中谷議員は明るさが消え、学校から逃げ出したくなり、不登校気味になることもあったそうです。

中学・高校

中谷さんは暴行・傷害などの犯罪発生率の高い地域で育ったこともあり、中谷さんは「もっと強くなりたい」という想いを募らせるようになっていきました。

中谷さんは中学生の時、空手やテコンドーなどを習い、柔道は有段者となります。中谷さんは自らの努力で厳しい大阪での生活を何とか乗り越えていきます。

中2の時、中谷さんは神奈川県に戻ってきます。大阪に比べると周りの子供たちも真面目そうで優しそうな人たちに見えたそうです。また大阪弁を話せるようになったことが逆に、「面白そうな奴」と思われたそうです。

一方、生活は一向に楽になりません。このころから母が体調を崩し、中谷議員は家計を支えるため中学生でもできる仕事を探します。

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そして見つけたのが芸能プロダクションの仕事でした。活動を始めていくと、少しずつ収入を得られるようになります。歌やダンスの稽古に没頭し、徐々に中学にも行かなくなりました。周囲が高校に進学する中、中谷さんはすぐに社会へ働きに出ました。

しかしここで、事件が起こります。

ドラマのレギュラーも決まり、芸能活動も軌道に乗り始めたときのこと。地域の不良に絡まれて大ゲンカをしてしまいます。顔面ボコボコになり、レギュラーの話もボツになりました。

その後も挫折は続き、様々なアルバイトをしましたが長続きしませんでした。中谷議員は「本当に甘ったれたクソガキだったと思う」と当時のことを回想していました。そうした中、中谷さんは「自分は社会で満足に食べていくこともできないのでは」「自分はまともに仕事なんてできないのではないか」と焦りを感じていたといいます。

しかし、社会のアンダーグラウンドで育ってきた当時の中谷さんは次第に「世の中を変えたい」と思うようになります。その頃から「社会に不平不満を言っているだけでは何も変わらない、自分たちの手で世の中を変えないといけない」という想いで漠然と政治家を目指すようになったそうです。

当時中谷さんの周囲にいた人にそれを伝えると馬鹿にされたそうです。しかし、中谷議員はそんなことで諦めようとは思わなかったそうです。

一念発起した中谷さんは通信制の横浜平沼高校に入学し、高校ではサッカー部のキャプテンと生徒会の副会長を務めました。

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専門学校

「女手一つで私たちを育ててくれた母の面倒も見られないようなドラ息子にだけはなりたくない」ということは強く思っていたそうで、中谷さんはまず手に職だけはつけておこうと呉竹鍼灸柔整専門学校に進学し、柔道整復師を目指します。

この頃から中谷さんは、寝る間も惜しんで前向きに生き始めることができたそうです。

専門学校に進学した際は借りた入学金の返済と学費、生活費を確保する必要がありました。中谷さんは当時、授業や研修を受け、国家試験の勉強をしながら労働を続けるという生活環境でした。平均して1日時間、月500時間を学業と労働に費やしたそうです。

大学・大学院

政界の師匠である菅直人さんから「政治家を目指すなら大学に入った方がいい」というアドバイスを受け、中谷さんは慶應義塾大学の通信教育課程に進学します。

その後中谷さんはデジタルハリウッド大学大学院に進学。公共政策とテクノロジーを掛け合わせた「パブリテック」による「Political Innovation」の研究を行いたいと考えていた中谷さんはインターネット投票について研究します。その結果修了課題制作においてMVPを受賞し、大学院を首席で卒業します。

修了性を代表し謝辞を読み上げた際中谷さんは「中卒で社会に出た自分が大学院を修了するなんて夢にも思わなかったな」と感慨深い思いに浸ったそうです。

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前編はここまで。次回は主に政策について迫ります。

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