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大阪の改革を進めたのは誰か?

戦後、GHQと政府による一極集中政策や、大阪府市の対立による二重行政が誘発した大阪の停滞はバブル崩壊後、借金の激増や経済の崩壊により、その惨状はついにピークに達した。

平成二十年(2008 年)には大阪府の債務は5兆8000億円にも達し、更に財政調整基金から5200億円もの税金を抜き取り、「隠し借金」があった事まで判明、バブル崩壊後に行われた無駄な投資や、人件費などの固定費用の削減に取り掛からなかったツケが回ってきた形となった。

大阪府や大阪市などの地方自治体は国と違い、いざとなれば金融緩和で債務を減らす手段がない。結果的に地方自治体は財政破綻する可能性が国よりも高い。財政破綻すると、住民サービスの提供が困難となり、将来世代に多大なる不利益と迷惑をかける事となる。地方自治体は赤字を出来るだけ避け、健全な財政を保つ義務がある。健全な財政を保てないと、米デトロイト市の様に、警察や水道などのサービスが提供できなくなり、住民のQoLが大幅に低下する事となる。

この義務があるにもかかわらず、自民党や民主党などこれまで大阪のかじ取りを任せられていた政党は、債務を激増させ、大阪を危機的状況に陥らせた。同じ政党が、債務を削減した維新の会を批判するのは正直馬鹿馬鹿しいとしか言いようがない。

バブル崩壊後、ボロボロになった大阪だが、平成二十年に橋下徹氏が大阪府知事に就任してから、再び成長の道を辿る事となる。

橋下氏は大阪の再生に最重要なのは、安定した財政基盤の確保による府市への信頼回復である事だと認識し、就任直後に財政非常事態宣言を発令し、1000億円の歳出削減を目標とした財政再建に取り掛かる。

しかし、既得権益を奪われる事を嫌った天下り外郭団体や、府の補助金を利用して存続してきた「シロアリ団体・企業」、そして財政破綻寸前で、住民サービスが消滅する危機にあったにもかかわらず、「住民サービスが低下する」と給与及び人員削減に反対した組合の強烈な反対にあう。

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これらの問題に直面しつつも、最終的に橋下知事は困難を乗り切り、3年間で2400億円程度の歳出削減、600億円の歳入を確保する財政再建案を実行。収支は3年で3000億円回復する事となった。

橋下知事はこの痛みを伴う改革で、自らを聖域とせず、知事報酬を三割削減、退職金も半減させている。更には住民にとって大きなコストとなっていた府議会の定数を三割削減、そして議員報酬も三割削減した。事実上、議会コストを五割近く削減したのだ。

橋下知事は、歳出削減と同時に行政の透明化が住民の信頼を取り戻すには必須であると考え、情報公開の徹底と会計制度の改革(簿記の導入)を行った。府は3000もある全事業の支出を担当者と一緒に実行翌日に公開、これまで「結果」のみの公表から、プロセス自体の公表へ変えていった。その成果は全国情報公開度ランキングで大阪府が一位を獲得した事が証明している。

橋下知事は府知事在任中、大阪府の行政を徹底的に改革し、府民に見える形の行政を実現した。この改革を成し遂げる事によって、府は府民からの信頼を再び得る事が出来た。しかし、改革のみで都市は成長しない。次の記事には改革の結果、大阪府があらゆる分野に投資する事が出来た事を記す。