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全ての中学生に「裁判を傍聴する機会」を設ける意義 -署名活動の理由とは

 「自分自身の体験や、実際の活動を基礎とした学習」は、近年その重要性がますます高まっている。現実に起きている事象を自分の肌で感じることは、理科も社会科も同様だ。

 「法教育」という言葉がある。

法教育とは,法律専門家ではない一般の人々が,法や司法制度,これらの基礎になっている価値を理解し,法的なものの考え方を身につけるための教育です。
2016年の選挙権年齢の引下げや2022年4月に実施される成年年齢の引下げ等に伴い,法教育の必要性は近年ますます高まっています。
法務省では,法教育に関する様々な取組を推進しています。

法務省:法教育

 社会人は勿論、未来の社会人である学生も、法律に関する理解というのは極めて重要であることは理解できる。だが一方で、こうした教育が有る種「机上の空論」となってしまっている部分も否めないのではないだろうか。そもそも法律と一般の人との距離感は決して小さいものではない。特に裁判ともなれば”自分に関係ない話”となってしまうのもある意味当たり前だし、何よりも「善悪」の二元的な価値観に囚われがちである。

 そうした一般の人の「裁判」に対する拭い難いイメージについて、問題提起している人がいる。署名サイト「Change.org」で以下の署名活動を始めた「こよみ」さん @m__cml2 だ。

署名の内容

 署名の内容は、15歳…つまり中学生全員に、学校教育の中で裁判、特に刑事裁判を「傍聴する機会」を設けることを、文科省や教育委員会に求めるものだ。

 中学校学習指導要領では、「”法に基づく公正な裁判”により、国民の権利が守られていること、社会の秩序が維持されていること、司法権の独立と法による裁判が憲法で保証されていることについて理解させること」が明記されており、その際に「抽象的な理解にならないように裁判官、検察官、弁護士などの具体的な働きを通して理解させるなどの工夫が大切である」として、「調査や見学を通して」と記されている。だが裁判の傍聴までは踏み込んでおらず、当然その機会確保も義務ではない。

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 「こよみ」さんは、中学3年生の時に初めて刑事裁判を傍聴し、その「厳粛な儀式」といったイメージとの違いに驚いたという。裁判独特の緊張感の中で社会や法律に関する意識の変化を促すことが目的だ。授業の一環ではなく夏休みなどの課題として実施し、傍聴も強制ではなく「事前学習」と「感想の共有」のみ全員参加としたうえで、B5レポート用紙1枚以上の課題として提出を義務付けるという。「成績を与える」サイクルの中にに組み込んだうえで、多面的に物事を見つめる姿勢を養うことを目指している。

 一方でこの「学校教育に組み込む」ということに、一体どのような意味があるのかわからないという人もいると思う。確かに裁判の傍聴自体は希望すれば誰でも可能だし、わざわざ課題として中学生に取り組ませることへの意義については分かりづらい部分もある。しかしその意義は想像以上に深く一考に値するものだった。

 おとな研究所は、この署名をはじめたこよみさんへ取材。その真意や、中学生が裁判を傍聴する意義について尋ねた。

署名を始めたきっかけ


-今回は「取材」という形での質問をご快諾いただき誠にありがとうございます。まずは自己紹介の方からよろしくおねがいします。

東京都出身19歳、法学部の1年生です。

-署名活動を始めたきっかけについて教えて下さい。

直接のきっかけは、加害者を社会から排除しようとする風潮に違和感を覚えたことです。知らないことから生じる差別や偏見をなくしたい。そのためには、今実際に困っている人を支えることも必要ですが、当事者でない人々の意識を変えなければ根本的な解決には至らないと思って、声を上げました。

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今回の署名を立ち上げるとき、「事故や犯罪の当事者の人権侵害をあおるよな報道を禁止する」などの案も考えたのですが、まず一般市民が変わらなければ、企業や報道機関が体制を変えることはないだろうと思い、教育面からアプローチしていこうと決めました。

どうしても「被害者の気持ちを考えろ」「反省していない人の肩まで持つのか」と言われることがあります。生徒に裁判を傍聴させるという手段に関しても、「精神的負担が大きいのではないか」「公民の授業があるのは3年次だが、高校受験で忙しい時期ではないか」「教員の負担はどう考えているのか」といった意見が寄せられました。

これらについて、私の考えを述べます。

私が最終的に目指すのは「被害者と加害者、双方が安心して暮らせる社会」であり、どちらも生じさせないことです。両当事者を並列に語ることはできないため、私が加害者を一方的に擁護していると捉えられることもありますが、決してそうではありません。自分には関係がないと思っている一人一人が、当事者の置かれた状況を目の当たりにし、行動を起こすようになれば、今なお不十分である被害者への支援も広がっていくはずだと私は考えています。

高校受験がゴールではなく、その先の大学受験や就職につながっていくと考えると、主体的に学ぶ姿勢を身につけることは、行く手をはばむどころか、自分がどんな人間になりたいかを考えるきっかけまで与えてくれるものだと思います。

署名の本文にもある通り、成績評価の基準を3点設け、B5レポート用紙1枚以上とし、生徒や教員の負担も最小限に抑えています。

また、薬物使用のような「被害者なき犯罪」や、法の裁きにかかっていない性加害者、SNSでの誹謗中傷など、「加害者」という言葉を使うだけでも曖昧になる部分は多いのだと、指摘を受けて改めて気がつきました。被疑者・被告人が実際に加害をしたかはわからないので、そういった意味でも、伝わりやすさと本当に伝えたいことのバランスをとるのは難しいと感じています。より真意に近いのは「法の裁きを受けたにも関わらず社会的制裁の対象となる人」ですが、理解されにくいと思い、「加害者」という言葉を使っています。

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一方で、「自己責任論とたたかう現実的な打ち手のひとつ」「個人ではなく社会の側に問題の原因を求める姿勢は、今の日本社会に足りないものだ」「裁判員制度が導入されても司法は市民に身近なものにはならなかったので、こうした教育が必要だ」「自分はどんなことがあっても被害者の側に立つが、それでも裁判の場を実際の目で見る価値は十分に理解できるし、賛同できる」「視野を広げるのに重要な役割を果たす」「共感した」「新たな気づきを得られた」「素晴らしい活動だと思うので応援している」など、肯定的な意見も多く寄せられ、声を上げて良かったと心から思いました。


現在の法教育の問題点

 「加害者を社会から排除しよう」という風潮は、筆者もよく感じることがある。YouTubeやYaoo!ニュースなど、事件に関する報道へのネットユーザーが見える場では、特に各事件について「被害者の気持ちに寄り添う」以上に「加害者への悪意」に近い攻撃性が観察される。

 だが実際の裁判の場で議論される事柄は、そうした表面的な善悪だけでない。事件に至った経緯についてはむしろ加害者にスポットライトを当てて検証することが多いだろう。なぜこのようなことになってしまったのか、どうすれば事件は防げたのか。そうした視点があれば、「加害者はとりあえず厳罰にすればいい」という安易な結論にはならない。刑法というのは単純ではないからだ。

 現在の法教育で、そうした観点を養うことができていないのではないかと、こよみさんは言う。


-法務省は以下のような動画を YouTube にも公開し、中学生への司法教育を行っています。現状の中高生へ
の法教育の問題点はどこにあると考えていらっしゃいますか。

参考:中学生向け法教育視聴覚教材「司法(全編・字幕付き)」(YouTube)

動画を拝見しましたが、裁判官が中立的な立場で判断するという点が最初に述べられているのはとても良いなと思いました。

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例として示されていた交通事故は、受け入れやすく、当たり障りがないのかなと思う一方、「刃物を持ち出し〜」のように、加害者が凶悪な描かれ方をした場合、多くの生徒が厳罰化を望むようになるのではないか、また教える側も、そういった加害者は 「極悪人」 だと決めつけているのではないかと感じました。

冤罪について、加害者の更生について、被害者支援についてといった、裁判の外の課題には十分に触れていなかった点や、「刑罰以外に、その人が過ちを繰り返さなくなる方法を考えてみよう」といった時間がなかった点も、気になりました。

そもそも国家による人権制限だから、必要最小限でなくてはならないですし、犯罪行為そのものは許されなくても、それがその人の人権をないがしろにしていいことにはならないという点を、明確に述べるべきではないかと思います。

凶悪犯は精神疾患があることが多く、責任能力がない、つまり刑罰が意味を持たないこともあります。

また、周囲の環境に恵まれなかったからといって情状酌量をするのは違うとしても、刑罰が意味を持つのか、適切な対処法なのかは、検討する余地があり、裁判で物事を「解決」できるとか、国の方針はすべて適切で正しいといった思いこみを払拭するため、教員の指導のもとで話し合いの場を持つことは重要だと思います。

-傍聴にあたっての「事前学習」はどのようなものを想定されていますか。

詳細については調整中ですが、裁判は、衝突が起こった時に適切な調整をする場であって、「善悪を判断」し事件を「解決する」ものではないということをまず確認したいです。

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そして、どれほど審議を尽くしても誤った判断を下す可能性はあるということ、国家権力による人権の制約は必要最小限でなければいけないこと、冤罪についても扱う予定です。

また、ディスカッションの内容としては、刑罰以外に、本人が過ちを繰り返さなくなる方法を考えること、裁判員裁判の評議を模した話し合いなどを考えています。


「裁判を傍聴すること」のリスクと対策

 ここまで裁判を傍聴することの意義について伺ってきたが、当然ながらメリットばかりではなく、超えなければならないハードルやリスクも存在する。裁判によっては目を覆いたくなるような現実を見せつけられるものも少なくないため、特に保護者などにとっては気がかりなことも少なくないだろう。

 こうしたデメリットとも言える点についても、今回は躊躇うこと無く質問をしてみた。


-刑事裁判の中には、殺人や傷害など極めて残虐な内容もあると思います。実際に中学生が傍聴する時のケアと
してはどのようなものを想定されていますか。

私の中学では、3年のとき、公民の夏休みの課題の候補に、裁判の傍聴がありました。私が傍聴したのは、若い男性が、貧しかったために詐欺に関わってしまったと述べていた刑事事件でしたが、ある友人は、傍聴の際、交通事故の遺族が隣の席で涙を流していたと語っており、尊い命が失われたということ、悲しみ絶望する人がその場にいることに私だったら耐えられただろうかと自問自答しました。

ただ、報道を受けて、詳しい事情も知らずに 「死刑にしろ」 と言ってしまうような人には、死がどれほど重い事実なのか、考える良いきっかけにはなると思います。

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残酷な描写が少ないような、軽犯罪(といっても被害者の一生に関わるものもありますが)を推奨し、相当な覚悟が必要だということを事前に伝えた上で、各々の選択に任せて、感想共有の時間に、傍聴して抱いた思いを言葉にして整理することを考えています。

-裁判を中学生に見せる機会を与えることで想定されるリスクなどがあれば教えていただきたいです。

個人のプライバシーの問題、それと内容によっては加害者もしくは被害者への偏見を深めてしまう可能性があるという点。

教室では学べない、今実際に起こっていることであると感じられることはメリットといえるが、同時に、事件も当事者も一様ではないため、ただ傍聴するだけで終わらせてしまっては教育的効果が曖昧になる点。

-実際に司法現場である裁判の傍聴を教育機関が行う上で、超えるべきハードルはどのようなものがありますか。ま
たそうしたハードルはどのように超えていくことができますか。

やはり当事者のセンセーショナルな問題を教材として用いるのはいかがなものかというご意見もいただきました。

裁判が一般に公開されていることの直接の目的は「学び」ではなく、透明性、公平性の担保ですが、当事者個人にとどまらず、社会に問題の原因があるかもしれないということを知る必要はあると思います。

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 裁判というのは、傍聴する側にとっては「他人事」だが、当事者にとってはまさに人生の中で極めて重要な瞬間であることが疑いようがない。そうした重みをしっかりと理解することで、こうしたリスクやハードルを乗り越えるために必要であると感じた。

「司法」と「教育」の先へ…

 今回は筆者が全く知識のない分野についてお伺いできたので大変勉強になった。こよみさんの活動がいつか実ることを願いたい。最後に、「多くの人が裁判を傍聴する意義」と「こよみさんが目指す社会」について聞いた。


-多くの人が実際の裁判の傍聴を行うことで、将来的な社会の全体としてはどのような効果が期待できますか。

主体的に学び行動する人が増えること。

何事も正しいと思い込まず、知った気にならないこと。自分と異なる立場の人がいること。物事には必ず多面性があること。考えの軸を持ち、むやみに報道にあおられないこと。

こうした効果によって、ひとりひとりが社会に問題意識を持ち、あらゆる差別や偏見をなくせると考えています。

-今の日本社会で問題だと考えていることや、「こんな社会を作りたい」という思いがあれば、教えていただきたいです。

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多くの人が、苦しんでいる人に対し無関心であることが、いちばんの問題だと思います。

余裕がなく、自分のことしか考えられない、考えたくないという人も多いかもしれませんが、「知ろうとする」姿勢を持つだけでも、確かな意味があります。

「誰かが人間扱いされていない社会では、実は誰も人間扱いされていない」

立場が弱く声を上げることもできないマイノリティの方に、人々が寄り添うことで、誰もが等しく幸せを追求できるような社会にしたいです。


インタビュアー:Aki @aki_newparty(おとな研究所編集長)

インタビュイー:こよみ @m__cml2

キャンペーン · すべての中学校で、裁判を傍聴する機会を設けてください。 · Change.org

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