パレスチナ問題とその歴史 −ゲストライター

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まえがき

EaRuです。この記事が僕のオンラインでの初記事となります。今回のテーマはパレスチナ問題です。なぜこのような悲劇に発展してしまったのか。その歴史的背景を順を追って徹底解説します。

※キーワードは🔑マークをつけています(‘◇’)ゞ

※追記※ ユダヤは中東戦争勃発の少し前にイスラエルの建国を宣言していましたが、 当記事では一貫してイスラエルではなくユダヤと表記させていただきます💦失礼しました。

悲劇の始まり

まず、パレスチナ問題を語るには、19世紀にまで遡る必要があります。19世紀のパレスチナは、オスマン帝国が支配していました。西アジアにそびえたつ巨大な老大国は、様々な宗教の聖地であるパレスチナをもアラブと呼んで統治していたのです。

そのころユダヤ人は、ヨーロッパでなどで迫害を受けたり、住んでいた土地を追い出され たりとひどい扱いを受けていました。さすがにユダヤ人もこれ以上迫害されないように新たにユダヤ人だけの土地を持つ必要があったのです。

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そこでユダヤ人は「やはりユダヤ教の聖地であるパレスチナを拠点とした国を作ろう」と決断しました。早速パレスチナに移住するわけなのですが、冒頭でも述べた通りパレスチナはオスマン帝国の領土となってしまっていました。

さてどうするか。ユダヤ人は苦渋の決断の末、やはりパレスチナへ移住することを決めたのです。(シオニズム運動)🔑そして20世紀には、かなりのユダヤ人がパレスチナへと移住していきました。しかし当然元から住んでいたオスマン帝国のアラブ人は猛反対しますよね。

そして両人種の睨み合いが続いて埒が明かない状態が続いていた一方、ヨーロッパでは第一次世界大戦が開始されようとしていたのです。この大戦が後に両人種の対立に拍車をかけてしまうなんて知る由もありませんでした。

WWI勃発、腐ったイギリスの二重契約

ヨーロッパでは、遂に1914年にWWIが勃発しました。そしてそのころのオスマン帝国はヨーロッパの火薬庫🔑と呼ばれるほどヨーロッパ諸国がこぞって進出してきていまし た。その結果、オスマン帝国はイギリス、フランス、ロシア(ロシアは少し複雑)に分割さ れてしまったのです・・・。そしてその中でもパレスチナが含まれている地域はイギリス 占領することになりました。

当然イギリスもパレスチナをめぐりアラブとユダヤが対立していることは知っていまし た。そこで、イギリスはその二国をいいように利用しようと企んだのです。

イギリスはまずユダヤ人に「イギリスに協力してくれたらユダヤ人の国造りに尽力する」 と宣言したのです。しかし全く同じ約束をアラブ側にもしていました。当然両国は怒り、そ れと同時に再び両国の対立は激化することになったのです。そして相変わらず両人種の対 立が続く最中、世界では WWIIが始まろうとしていたのです。ここからまたパレスチナにさらなる悲劇が襲います。

編集部注:pixabay

WWIIと中東戦争

WWIが終わってすぐにヨーロッパでは WWIIが始まっていました。もちろんイギリスも連合国側で参戦していたわけです。WWIIでのイギリスは途中から参戦してきたアメリ カなどと共にドイツ率いる枢軸国とかなり厳しい戦闘を繰り広げていました。そうして何 とか勝利したものの、イギリスは多額な軍事費用のせいもあって自国の金を使い果たしてしまったのです。

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しかもイギリスは実はユダヤとの(アラブとも約束していた)国造りに尽力してあげるという約束を破ってしまっていたため、WWII終戦後に各国から大批判を食らってしまった のです。(イギリスが約束を破ったことによりパレスチナにまだ移住できずにいたユダヤ人 に対してホロコーストが起こり、さらに批判が殺到したと思われます) こうした背景もあってか、イギリスは何もかもが中途半端のまま国連にパレスチナの対処 を任してしてしまうのです。そうして国連は最終的に、ユダヤ国家とパレスチナ国家で半分 半分で土地を分け合ってはどうかという提案を両人種に持ちかけたのです。これにはユダ ヤは賛成でしたが、アラブ側はこれに抗議しました。しかし国連の都合などから、半ば強制 的にこの分割案が採決されてしまったのです。そうしてついにこれに反対したアラブ人が ユダヤ側に攻め込んでしまったことにより、長きにわたる中東戦争が始まってしまったのです。

そして四度にわたる中東戦争は、アラブ側が劣勢であるユダヤ軍のことを甘くみてしま ったことなどにより、四回とのユダヤの勝利に終わりました。ユダヤの勝利により、ユダヤ 人は国連が定めていたアラブ側の領土も自国のものにしてしまいました。そうして現在の パレスチナの構図が出来上がってしまったわけです。

現在も続く悲劇

四度にわたる中東戦争は1973年で幕を閉じたのですが、現在に至るまで争いは収まっ ていません。それどころは、最近になって激しさを増しているような感じがします。最近で は、2021年5月にパレスチナのガザ地区でアラブに対するユダヤ側の攻撃が再開されました。5月21日に停戦協定を結んだのですが、ふたたびユダヤ側がガザを攻撃しました。こんな状況では両人種の対立は収まる気配がありません。そうした状況を、日本含む各国は、 どのような対応をするべきなのでしょうか。

僕の意見

現在でも衝突が絶えないパレスチナですが、国連などが干渉してしまうと再び状況が悪化してしまう可能性も否定できないのではないかと思います。やはり戦争の過程で増える難民の小規模な保護活動などしか今はできないのではないかと思っています。ものすごく複雑な問題なので解決の糸口は正直見つけることはほぼ不可能です。僕らは今のところはただ事態の収束を祈ることしかできないのです。

このパレスチナ問題は難しすぎるので、感想の後味が悪くなってしまいました こんな僕の記事を最後まで読んでいただきありがとうございました。

関連記事:中東問題 解決への糸口を探る —ゲストライター記事


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ライター:EaRu🍀@高3 政治 Twitter:@starwarsfubuki 自己紹介:高校三年生、えあるです!!

 

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