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アジア人差別を考える -私たちの当事者性- 第1回

私たちは普段、自分自身が差別の加害者/被害者になることを想像したことがどれほどあるだろうか。私たちに密接に関わっているはずなのに、中々可視化されていない「アジア人差別」問題について、「モデルマイノリティ」や「名誉白人」をキーワードに解説する。

近年も起こっているアジア人差別

日本国籍を持ち、日本で生きている限りは、アジア人差別というものに真正面から出会ったことがある人は少ないかもしれない。しかしながら、欧米圏を中心にアジア人を蔑む視線は未だ強く残っており、その視線が向けられる対象として日本人も例外ではない。今一度当事者意識をもち、この問題について考えるために必要な基礎を取り入れよう。

21世紀に残る差別意識

人類の歴史が21世紀に入ってもなお、さまざまな醜い差別が存続している。アジア人に対する差別はそのうちのひとつであり、近年もヘイトクライムの増加など、暴力的/精神的を問わない差別行為が世界的なニュースになることも多い。

マッサージ店での暴行事件

例えば、2021年3月には米国ジョージア州にあるマッサージ店3か所で発砲事件が発生し、アジア系女性6人を含む8人が亡くなった。この犯行が人種差別的な動機によるものと断定することはできないが、事件後には国内外からアジア人に対するヘイトクライムを非難する動きが多く起こった。

「ドルガバ」は歌で話題になったのみならず

数年前、とある曲で歌詞として用いられ話題になった「ドルチェアンドガッバーナ」も、何度かアジア人差別的なメッセージを発信し非難の的となった。例えば、中国系女性をモデルに起用し、箸を使って不自然にピザやパスタを食べさせる広告や、北京の中でも古い地域に住む人々の写真を用いた広告などである。アジア地域や文化への敬意が足りないと消費者に受け止められてしまう結果となった。

参考:https://www.bbc.com/japanese/46301811

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アジア人差別はどのように起こったか – 歴史を知る

アジア系移民の歴史は、アジア人差別に対する闘いの歴史でもある。どのように差別は発生し、アジア人に対する視線は変化してきたのだろうか。

19世紀に入り、アメリカへ移民として渡る中国人が増えると「華僑」と呼ばれるようになった。しかし、増加する移民への嫌悪感や排斥主義により、中国人労働者はアメリカへの入国を禁じられ、続いて日本など他の国からの移民も制限されていった。このような状態は、1965年に「移民国籍法」が改正されるまで、アジア系への差別を後押しするようなものとして続いていた。

また、日系人に関して言えば、第二次世界大戦中に当時のフランクリン・ルーズヴェルト大統領は10万人以上を強制収容所に収監した。そこで日系人らは、英語の授業や社会での振る舞い方を教え込まれ「アメリカナイズ」されたのである。収監されていた日系人が解放された時、彼らは元の文化やコミュニティから離れ、白人至上主義のアメリカ社会に溶け込むために努めるようになっていた。時が経ち、アメリカ社会が日本人や日系人を戦争の敵として認めることをやめると、日系人をはじめとするアジア系移民たちは、アメリカに移ることで成功した「モデルマイノリティ」として扱われることになった。(一見社会的に認められたような単語だが、「モデルマイノリティ」の諸問題については次回詳しく取り上げる。) 現在でも、中国人排斥法や日系人収監の原因となった敵視や憎悪感情は、未だに一部の人々の間に根強く残っているだろう。

「1882年を境に、アメリカは制限も国境もゲートもなく外国人を迎え入れていた移民の国ではなくなった」と、ミネソタ大学のエリカ・リー(Erika Lee)教授は、著書『At America’s Gates: Chinese Immigration During The Exclusion Era, 1882-1943』で述べている。

https://www.businessinsider.jp/post-231583

その起源も移民に由来するはずのアメリカ合衆国が、外部者を排斥してきたその歴史は悲しいものであるが、歴史から学ぶこともまた重要である。

ここまで、アジア人差別の実例と歴史について解説した。次回記事では「モデルマイノリティ」と「名誉白人」という考え方を用いながら、アジア人差別問題を紐解いていく。

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Alice
ライターページ おとな研究所 編集部員 ジェンダー/セクシュアリティや外国人の権利問題に強く関心を持っています。社会問題についての記事が多くなると思いますが、おとな研究所に新しい風を吹かせることができればと思います。