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「木村花」さんの悲劇を教訓にして考えよう

 これは、人の死の利用ではない。木村花さんが亡くなったことは、議論が活発化するきっかけに過ぎない。日本は、今まで名誉棄損表現に対する対処が遅すぎた。いわば、「名誉棄損天国」となっていたと言うべきである。マクロス氏が、「木村花さんの悲劇を利用するのはやめよう」というタイトルで記事を書いたが、マクロス氏の現状認識はあまりにも甘すぎると考えた。そこで、これに対する反論として民事訴訟の改革を主張させていただきたい。

表現の自由は「絶対無制約の権利」ではない

 マクロス氏が指摘するように、憲法21条は表現の自由を保障しており、原則として自由闊達な言論空間は保たれるべきである。そして、「国家権力に良かれと思って権力を渡してしまうと、監視無しにはその権力は乱用され、暴走する」と言う点も同意する。もっとも、表現の自由は、絶対無制約なものではなく、他者の人権を侵害する場合など、一定の場合には制約が許される。また、学説によっては、人の名誉を棄損する表現やマイノリティに対する差別的表現は低価値表現として、憲法上保障の対象外とすることもある。なぜなら、対立利益たる名誉権も、表現の自由に負けない位重要な人格権として、憲法13条で保障されるというのが通説的見解だからである。
 判例の判断を見てみたい。名誉棄損表現の場合、原則として表現の自由の保障の範囲外とするのが判例の考えである。もっとも、①名誉棄損が公共の利害に関すること、②公益を図る目的が認められること、③適示した事実について真実性の証明があるか、確実な資料・根拠に照らし真実だと考えた相当な理由があること、を満たす場合に、違法性が阻却され、例外的に表現の自由として保障される(「月刊和歌山時事」事件判決参照)。このように、名誉棄損表現が憲法上保障される言論となるためには、厳格な要件をクリアしなければならない。もし憲法上保障の対象外となれば、民事では不法行為(民法709条)、刑事上は名誉棄損罪(刑法230条)の責任を負いかねない。
 そうだとすれば、自分が一般人であり相手が政治家などの有名人であっても、ネット上で流れているうわさについて、安易な判断で拡散すべきではないのだ。国家権力に手を打たれたくないのであれば、責任をもって自由を行使すべきである。
 表現の自由は重要であり国家権力による安易な介入は許されないとするマクロス氏の考えに大筋では賛同する。しかしマクロス氏の見方は一面的な見方にすぎず、名誉権がいかに重要な権利であるかということと、表現の自由が絶対無制約の権利でないことを見落としていると、私は考える。

「心のケアや、既存措置の活用」では足りない!

 木村花さんが亡くなったのは氷山の一角にすぎない。私の知人にも、過去に名誉棄損が一つのきっかけとなり亡くなった人もいる。また、世の中の多くの自殺の原因となっている「いじめ」も、その要素のひとつに名誉棄損がある。彼ら彼女らがなぜ亡くなってしまったのかというと、既存措置の利用には高いハードルがあるからだ。
 マクロス氏は、「政府がやるべきことは誹謗中傷を受けた方々に対する心のケアや、開示請求等の既存措置の活用を周知させる事だ」と、あくまで既存の制度を利用すれば問題を解決できると考えているようだ。しかし、既存の制度は穴だらけだ。まず、誰が名誉棄損を行ったか特定するための、発信者情報開示請求の仮処分には、着手金で20万前後、成功報酬として10~20万程度の支払いが必要となる。そして、そこから削除請求や損害賠償請求をするとなると、弁護士費用などで多額の費用がひつようとなる。また、日本の損害賠償制度は、懲罰的損害賠償制度が認められておらず、オーストラリアや米国と比べて認容額が低く出る傾向にある。つまり、削除や損害賠償に多額の弁護士費用のリスクがあるし、認容されたとしても相手が無資力であるというリスクがある。損害賠償が一部ないし全部認められたとしても、手元に残る額はわずかという場合もありうる。それゆえに、多くの人が訴訟をする前に断念する場合が多いという問題がある。
 以上のことを踏まえれば、①発信者情報開示請求手続を簡略化することは必須だろう。そうすれば、弁護士報酬も低く抑えられる。入口の心理的・経済的ハードルは著しく下がるだろう。そして、②懲罰的損害賠償など、高額の賠償請求を認める特別法を作ることも併せて検討すべきである。①で訴訟の入り口たる発信者情報を得やすくすることで裁判所に救済する道を広げる。そして、②で従来よりも高額の賠償請求を認めることで、人の名誉を棄損する表現には慎重になるだろう。

このように、私人間の名誉棄損については、民事裁判で決着をつけやすくするのが、国会の果たすべき役割である。マクロス氏は、既存の制度で解決可能であるとしたが、日本の現状を踏まえられていない。政府による規制を強めるべきではないのは確かではあるが、民事裁判を改善することで、事後的な被害者救済の実効性を確保すべきである。

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