同性婚は、「婚姻の自由」を保障する憲法改正によって成すべき、4つの理由


平河氏による「国民民主案」批判は見当違い

 国民民主党が11月に出した憲法改正草案のたたき台では、「同性婚の保障」を掲げている。これを受けて、ライターの平河エリさんが以下のような批判を行った。

 確かに、「婚姻の自由」が憲法上保障されていないという点は正しい。しかし、平河氏の批判は、理解しがたい点が多々ある。

(1)国民民主党は「同性婚」制度化を禁止する憲法解釈を取っていない

 平河氏は、「国民民主党という政党が現行憲法下においては同性婚が違憲である、という憲法解釈を採っている」と言っているが、何を根拠にそのようなことを書いているのか不明である。国民民主党改憲草案たたき台では、「許容する解釈に委ねるだけでなく、保障する」という趣旨で一貫して書かれている。つまり、国民民主党としては、以下で述べるように憲法24条の解釈について学説間の争いがある中で、「容認か禁止か」としか読めない現行憲法を、「同性婚を含む婚姻の自由を保障」というレベルにまで改正し、論争に一気にケリをつけようという趣旨だ。また、改憲案が具体的に決まっていない段階では、「同性婚を保障する」文言なのか、「婚姻の自由」一般を保障するような書きぶりなのかは判明していない。少なくとも、性的マイノリティにだけ権利を認めるのは不自然であるから、後者と考えるのが自然であろう。平河氏の主張は、この点についてもおかしい。

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 なお、憲法上の「保障」と「許容」の違いを知らない方のために一応補足しておく。「保障」された権利が制約されている場合、その制約が正当化されない限り、憲法違反となる。「許容」されている権利・制度は、制度化されない場合であっても、憲法14条(法の下の平等)などの一般原則に反しない限り、合憲である。

(2)同性婚の制度化を憲法上禁止するという解釈も根強い

 他方で、同性婚の制度化が禁止されているという主張はいまだに根強い。そのような解釈が一定程度支持されている以上、現行憲法のままで同性婚を導入する場合、世論の反発が根強いと考えられる。平河氏は、世論がどのように考えているかという点を見落としており、単にどちらの解釈が正しいかという議論に終止している。

(3)「同性婚を認めないことは憲法違反」という解釈はありえない

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 平河氏は、一般法と特別法の関係が理解できていないのだろうか。特別法は一般法に優先する。すなわち、婚姻について定めた憲法24条は、差別を禁止した一般原則たる14条に優先する。したがって、「両性の」という文言がある以上、24条が同姓婚を想定していないのであるから、同性婚を制度化していない現行民法が違憲であるという解釈は取りようがない。

 平河氏は、感情的に言えば同性婚は保障されていると考えたいのであろう。しかし、法解釈を感情で行ってはいけないのである。日本国憲法が70年以上前に成立し、24条が一度も改正されていない点を踏まえれば、平河氏のような解釈は成立しえない。また、このような解釈を採ったところで、「同性婚の制度化が違憲」と考える層が一定数入れば、同性婚の制度化は実現しないだろう。

 これらをまとめると、平河氏の国民民主党に対する批判は見当外れであると言わなければならない。同性婚をめぐる憲法解釈が対立している中で、現行憲法のままで同性婚を導入すると、必ず世論の反発を招く。どうしても憲法改正が不可能な場合に単なる民法改正で同性婚を制度化することは排除しない。しかし、憲法解釈の余地のある文言を修正するのみならず、婚姻の自由を保障することで一気に問題を解決しようとする国民民主党の姿勢が、なぜこのように非難されなければならないのか。理解に苦しむ。

 さて、平河氏のツイートと対照的に考えることで、国民民主党が「同性婚を保障する」と検討するに至った理由がわかるだろう。そこで今回は、同性婚を制度化するにあたって憲法改正をすべき4つの理由を解説したい。

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理由① 「両性の本質的平等」同性婚未整備は、憲法違反には絶対にならない

 ここで、憲法24条・14条の文言を詳しく解説する。

第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
② 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

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第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。② 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。③ 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

 憲法24条1項は、婚姻は「両性の合意」のみにより成立すると規定する。ここでいう両性は、「男女」である。なぜなら、日本国憲法成立当時に、同性婚というものが想定されていると考えるのは困難だからである。そうすると、「婚姻の自由」が憲法上保障されているかどうか以前に、日本国憲法の想定する婚姻とは、異性婚であるということとなり、憲法上違憲の問題は生じないと言えることとなる。

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 さらに、同項を根拠として同性婚の制度化は禁止されているという考えもある。このような考えも依然として根強い以上、同性婚の制度化がされていない現行民法を違憲だと解するのには無理がある。

 また、同性婚を制度化しないことが違憲かどうか判断するのは、一部の人権派弁護士などではない。最高裁判所である。判例は、婚姻の自由について、「婚姻は,これにより,配偶者の相続権(民法890条)や夫婦間の子が嫡出子となること(同法772条1項等)などの重要な法律上の効果が与えられるものとされているほか,近年家族等に関する国民の意識の多様化が指摘されつつも,国民の中にはなお法律婚を尊重する意識が幅広く浸透していると考えられることをも併せ考慮すると,上記のような婚姻をするについての自由は,憲法24条1項の規定の趣旨に照らし,十分尊重に値するものと解することができる」(最大判平成27.12.16)と立場を明らかにしている。すなわち、婚姻の自由は、①法律婚が相続権や嫡出の要件になることや、②法律婚を重視する国民意識を考慮したとしても、「保障」されるレベルにはなく、「十分尊重に値する」権利であるにとどまる。したがって、「婚姻の自由」に対する制約があったとしても、原則として違憲とはいえない。このように、最高裁が婚姻の自由すら保障されていると考えていない以上、ましてや同性婚の未整備について違憲判決を取るのは夢のまた夢であると言わなければならない。

 さらに、最高裁は現行憲法下で10個程度しか法令違憲の判決を出していない。最高裁は、よほど人権侵害の程度がはなはだしい法律しか違憲判決を出さない傾向にあり、いくら「同性婚を認めないことが憲法違反だ」と威勢よく主張したとしても、それが認められる可能性は宝くじが当たる確率並に低いと言わなければならない。

 

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理由② 本来「婚姻の自由」は、同性愛者を含むすべての人に憲法上保障されるべき重要な権利である

 本来、自分の望んだ人と婚姻する自由は、憲法上保障されるべき重要な権利である。

 人権とは、確かに「国家からの自由」が原則であるから、国にフェアな結婚制度を整備するように求める「婚姻の自由」というのは、多少原則と整合しないかもしれない。しかし、現に結婚制度が法律上制度化されており、国によって法律婚が可能な人と可能でない人に分けられているという事実が、近年になってようやく可視化されてきている。そうであれば、「婚姻の自由」という人権を新しい人権として保障することで、解決する問題が多々あるのではないか。

 もちろん、同性婚を制度化しないことも違憲となるし、夫婦同氏制が法律婚の障害となっているのであれば、夫婦同氏制合憲判決も判例変更され違憲となるかもしれない。憲法上重要な権利と再定義すべき「婚姻の自由」の保障は、さまざまな法と家族に関する問題を、一気に解決する可能性を秘めている。

理由③ 同性婚含む婚姻の自由が、憲法上保障に値しないのなら、「法改正で認める必要性が低い」という反対派の主張を補強する

 杉田水脈氏に代表される反対派は、同性婚に強く反対している。その根拠として、結婚制度が子供のためだという伝統的な考えがよくあげられる。

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 これに対し、私たち同性婚賛成派の立場からは、「婚姻の自由」は重要な人権であり、子どもができようができまいが、全ての人に認められるべきだと反論すべきである。そこで利用できるのが、憲法改正での明文保障である。

 国民民主党が掲げているような、同性婚を含む婚姻の自由を保障・容認する憲法改正を認めないのであれば、同性婚が重要な権利であることを否定する反対派に、反対する口実を与えることとなる。憲法上明記するほどの権利でなければ、わざわざ法律で認める必要性が高いとは言えないからだ。

理由④ 立憲主義に適う憲法改正とは、時代に合わせて政府の権力を修正したり、新たな権利を追加したりすることだ

 ところが、一部左派系の中には、同性婚・婚姻の自由をめぐる憲法改正について、護憲派の立場から、「憲法改正が嫌」だから反対しているのではないかと、疑わざるを得ない見解が出されている。自民党の憲法改正に反対するだけにはとどまらず、すべての憲法改正に反対すれば、時代の変化により市民権を得つつある権利を明記する等の立憲主義的な憲法改正すらできない。

 立憲主義とは、政府権力を制限し人権を保障するという考え方だ。新しい人権を認めれば、その点については政府の裁量も狭くなる。そして、立憲主義の方向に沿った改憲については、本来立憲民主党も反対していないはずである。それは、枝野代表も「私は護憲派ではありません。憲法の中身をより良い方向に変えるなら、改憲には賛成です。つまり、いまの日本国憲法が持っている価値観を発展させるなら、改憲は大いにありということです」と述べている通だ。

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 しかし、現実的に立憲民主党は憲法審査会の開催に消極的であるし、平河エリ氏のような立憲民主支持者は同性婚を明文化する改憲にすら反対する。立憲民主党は、やはり、立憲主義のことはどうでも良いのではないか。

 立憲主義という観点から、同性婚をも保障する「婚姻の自由」明文化は必要である。立憲民主党との合流を拒否して結成した国民民主党の方が、立憲主義を守ろうとしているというのは、とても皮肉なことである。

 

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虎

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大学院生2年目です。法律や経済など幅広く投稿します。

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