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「意識の共有と学び合い」―日韓交流会レポ【2020.07】

2020年7月31日、筆者はとあるイベントへのお誘いをいただいた。「日韓交流会」なるオンラインイベントである。招待してくださったのは、先日より弊所と業務提携を結んだ一般社団法人・Civisの代表理事・畠中さんだ。

参考:おとな研究所 Civis情報発信サイト

畠中さんによれば、その内容は韓国で選挙制度を研究されている教授をお招きして、日韓両国の若者団体が交流するというもの。そのような中で筆者も、「おとな研究所」編集長としてお招きいただいたわけである。

思えば筆者は、韓国やその選挙についてほとんど知識がない。韓国という国と、なかなか節点を持つ機会が少ないということもその一因なのだろう。

なかなか経験できないこのようなイベントに参加しない手はない。

以下に、なるべくイベントの流れに沿った形で話題に挙がった事柄をまとめていきたい。

  • 主催:Civis代表理事 畠中惇さん
  • 講師:高選圭さん (韓国・中央選挙管理委員会選挙研修院 教授)
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国籍・立場を超えた意見という貴重さ

自己紹介から始まったこのイベント。筆者が顔見知りの人も数人いたが、多くは初対面の方や韓国人の方だった。そのメンバーは様々。韓国で国会議員秘書を経験されていた方や、新聞記者の方、留学生や小学校教員、伝統音楽に携わる方やソムリエの方までいた。

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日本、韓国はもちろん香港人の方もいて、東アジアの民主主義を多角的に見るイベントという側面もあった。

講師の方は、高選圭(ゴ・ソンギュ)さん。韓国の中央選挙管理委員会選挙研修院で教授をされていて、筑波大学と東北大学の留学経験がある。長く選挙管理委員会で勤め、選挙制度問題を研究されてきた。近年は日韓の若者団体による交流会を頻繁に開催している。

「40年後を見据えた将来、交流会における共通認識を土台に制度設計や社会のデザインをしていってほしい。」高さんはこう語った。

高選圭さん (引用元)

様々な観点から飛び出る「若者と政治」の問題点

自己紹介時間が終わると、さっそく日韓が抱える若者政治に関する問題点の共有が始まった。若者が政治にコミットするうえでの問題点である。ご存知の方も多いかもしれないが、日韓の若者の、政治に対する捉え方は大きく異なるといわれている。それはこの交流会でも明らかになった。

まず日本側から出たのは「政治への敷居の高さ」。若者の政治意識を高める阻害要因になっているというのだ。法学部に在籍しているという大学生の参加者からは、「部活などの場面では政治の話題を出しづらい」という意見が。さらに多くの政治イベントを行っている主催者の畠中さんからも、「イベントに参加する人は、ほとんどがもともと【政治に興味がある人】。広がりづらさを実感する。」と零す。

日本側からは、日本のメディアの問題について指摘する人もいた。「SNSの方が活発に議論できる。」という意見や、日韓関係に触れ「メディアが日韓両国の感情を作っている」と語る人も。

他にも地方と東京の若者の政治に対する意識の差や、学校における自治の広がりにくさについて指摘する人もいた。これらは後の議論でも重要になってくる。

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一方の韓国側では真っ先に「韓国でも敷居は高い」と言う人が。「政治に携わる人は、【政治家になりたい】政治家志望の人が多い」と話す。国会議員の秘書経験がある人からは、「政治や選挙のやり方が古い。選挙に関する連絡をSMSで行う。」という驚愕の事実も語られた。「民主主義国で政治に参加しないことは、アジア的な文化だ」という意見も飛び出す。

韓国でも日本同様のムードが広がっているのかと感じたが、そういうわけでもなかった。

小学校教員の方の話すところによると、「韓国では教育委員会が各学校の生徒会に補助金を出して学内自治を支援している。政治の疑似体験が重要。」なのだという。日本では生徒会はおろか、学内自治の整備がままならない学校もあるのに、教育委員会が生徒会に直接予算を付けて学内自治を積極的に支援しているというのは興味深い取り組みだ。一方で、公務員や芸術家など、社会が政治的中立性を求めすぎているという意見もあった。

在日香港人留学生の方からも意見は飛び出した。

「日本は平和ボケしているというが、香港でも民主化運動の前は平和ボケしていた。香港も日本も、民主化制度は外国から与えられたもの。対して韓国では民主化闘争によって民主主義か勝ち取られた。市民社会がいかに強くなるかが問題。」

「民主の女神」周庭氏を逮捕 香港雨傘運動の広報 (東京新聞 2020.8.11)

非常に重い言葉である。民主主義がどのように存在しているのか、そしてどれだけ脆いのかを考えさせられる一言だった。

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高さんは議論を踏まえてこう話した。「年齢を問わず1人1人の市民が自分の生活の中で政治参加について認識することが重要。韓国には『市民教育』という独自の制度で、市民と政治に接点を持ってもらっている。市民一人一人が地域や国家に所属しているのだ、という意識が、政治参加のきっかけになる。」

高さんの話に、韓国からの参加者から「時間はかかったものの、韓国では制度を含めた変革を起こすことができた。時間がかかっても変えていく意義はある。」と同調の意見が上がった。

それでも存在する「投票率」の差。ネット選挙の未来は?

話題は韓国の前回総選挙における投票率へと移った。なんとこの選挙における投票率は約6割。やはり韓国と日本の政治・選挙への向き合い方は違うのかもしれない。

日本人参加者からは「日本と違って、韓国の選挙は開票速報が面白い。政治土壌が違うのでどのように感じているのか気になる」との声が上がった。

韓国の選挙速報が面白い、ということを実は筆者も知らなったのだが、実際に調べてみると思わず吹き出さずにはいられない画面が。メディアの報道の仕方にも違いがあると感じた。

韓国の選挙速報がゲームみたいになっちゃってる件 「政治とeスポーツの融合」「これなら選挙行こうって人も増えるかも」 ガジェット通信

以下、実際に目の当たりにしている韓国人参加者からの意見は非常に納得がいくものだった。

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「韓国の若者たちは政治をエンターテイメントとして捉えている雰囲気がる。ネットコミュニティでも。決して悪い事ではなく、参加の糸口になっている。」「政治に関心が高く、様々な問題について多様な形態で討論する(課金、いいねなど)。年齢や立場を超えたはっきりとした争点と個々の考えがある。」といった声には、唸り声を挙げざるを得ない。

日本側からは、「日本の選挙はエンターテイメント性がない。韓国で印象的だったのは、街宣車がミュージックビデオを流していた。コミットしやすい。」「前回都知事選の個性的な候補に、日本のネットユーザーは否定的だった。こういうものが増えればコミットしやすいのかも。」という意見が続出した。

一方で、冷静な意見も出る。日本人参加者で、選挙や政治家に非常に近い立場の人からは、こんな意見が出た。「そもそも、全国に発信するネットは日本の選挙には合わない。選挙区民の信認が第一で、しかも高齢の方が多い。地域でチラシを配ったり、街宣をしたりする方が票になる。ネットをやりすぎていても、「外に出ろ」と言われる。やはり重要なのは地元での顔合わせだ。」

確かに日本の選挙は、選挙区民とのしっかりとした繋がりを重視している。それは決して悪い事ではなく、実際に地元で馴染みのある候補者に投票するというのはむしろ有益なことだ。これらを踏まえて、高さんはこう語った。

「日本と韓国では根本的に違う。日本では家庭、職場で政治の話をしない。学校でも。そういう意味では、そもそも文化的に違う。例えばコロナになってから危機が直面しても、普段話をしていないことで議論が盛り上がらない。芸能人や有名人も、政治について語らないことで自分の立場を守っている。韓国とは違うアプローチするべき。いくら日本の若者に政治議論を促しても、普段の生活に政治がないので難しい部分がある。日本は特に「制度を変えれば何とかなる」という風潮があるが、これは違う。人々の行動をまず先に変えるべきで、それは1人1人のインセンティブになるメリットを与える、ということだ。電子政府の面でいうと、日本にはマイナンバー制度があるが、韓国では自動車税をネットで払うと1割引きになる。実際に市民のメリットになるような政策を行っていくべき。」

非常に適格な指摘で、日本の政治や選挙に対するアプローチの変え方が見えたような気がした。日本人参加者からは「日本では政治家というより「有名人」というネットの風潮がある。政治家としてみるだけの知識が無いことが障壁かも。興味になる土壌はあるので、あとは学生団体などの啓蒙が重要。」という意見が。韓国人参加者からは「韓国と日本の政治に対する認識を理解することができた。互いの意識共有が明るい未来を創るチャンスになる。」という意見が上がった。

「隣だが遠い」。しかし学びあえる仲だ。

こうして短く濃い時間はあっという間に終わった。イベントにおける言語の壁は、高さんを中心に両国語を解することができる人が行い、コミュニケーションという意味でも非常に質が高いものになったといえる。

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筆者は先述の通りだが、他の参加者でも今回が日韓交流会への参加が初めてで、相手国やその政治事情を知らないという人がたくさんいたにもかかわらず、全員が意見を表明し、それを共有することができたという意味でとても貴重な時間であった。

最後に畠中さんが語った言葉が非常に印象的である。「隣だが遠い」。両国政府間の関係を含め、隣の国であるにもかかわらず選挙や政治についてほとんど知識が無い、というのはあまりにも勿体無いことだった。しかし、その分私たちは確実に学び合うことができる仲なのである。政治とは何か、選挙とは何か、民主主義とは何か、公益とは何か、まさに問われているこの時代で、私たちが手を携えて共に未来を創ることを願いたい。

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