【東京五輪開幕】高校生の僕が感じる「3つの矛盾」

2021年7月23日、「2020年東京オリンピック・パラリンピック」の開会式が、国立競技場で行われた。

新型コロナウイルス感染拡大によって延期を強いられ、1年遅れて開催されたのだ。

思えば、「順風満帆」と簡単には言えない道程だった。開催にあたっては、数え切れないほどの人の努力と犠牲があったのだと思う。関係者の方には心から敬意を表するとともに、選手団の皆さんに最大のエールを送りたい。

そしてまた、この大会が最後まで無事予定通りに開催されることを祈念するものである。

僕は一ライター、一有権者、そして1人の高校生として、この大会開催にあたって率直に感じていることを述べる。決して政治的な意図や、開催そのものに対する賛否を表明するものではないことは、ここに明確にしておきたい。

関連記事:間もなく開幕 政治と戦争に踊らされてきたオリンピックを振り返る

1つ目の矛盾 形ばかりの「多様性」

開会式での画期的な出来事として大きく取り上げたいのは、ミュージシャンのMISIAさんがレインボーカラーのドレスを身にまとって行った国歌斉唱だ。

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オリンピック開会式、MISIAさんがレインボードレスで国歌斉唱。手がけたデザイナーは│ハフポスト

MISIAさんは2019年の紅白歌合戦でもレインボーカラーの衣装を着てパフォーマンスを行い話題になったが、言うまでもなくこれは「多様性」の象徴、セクシャルマイノリティの権利擁護の象徴である。

聖火の最終ランナーは、テニスの大坂なおみ選手が務めた。選考の過程の中で、橋本聖子 五輪組織委員会会長の鶴の一声があったことは既に報じられている。「多様性と調和」が、その理由だった。

ひとつひとつに盛り込まれたメッセージとしては、非常に重いものがあるだろう。

だが、現実はどうだろうか。

今年に入って急激に議論が巻き起こった「LGBT理解増進法案」は、与党内の保守派などの反発によって採決見送りとなった。「同性婚法案」や「パートナーシップ法案」ではなく、「理解増進法案」が、である。

また、組織委員会前会長の森喜朗氏が、女性差別的な発言で辞任に追い込まれたことは記憶に新しい。驚くべきことに組織委は、この人物を「名誉最高顧問」なる肩書きで処遇することを検討している。

五輪組織委、森元首相に役職付与検討 「名誉最高顧問」、官邸に反対論│時事通信

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日本という国の多様性は、オリンピックという場で美しい絵に描けるようなものであっても、決して多くの人が共有できている価値観では無いのだろう。寛容の精神はどこだろうか。そこに存在するのは、凝り固まった保守的な観念なのではないだろうか。

浮かれた雰囲気の中でも、決して忘却してはいけない問題だと強く感じる。

2つ目の矛盾 反対派が作る「密」

ここに、1枚の信じ難い写真がある。

7月23日 写真でたどる「コロナ下の五輪」│毎日新聞

「感染拡大を抑制するため、オリンピックを中止するべき」とする人々が、開会式を控える国立競技場前に大挙している様子だ。

そもそもこのオリンピックは、ギリギリまで開催そのものや、開会式実施の有無について内外議論が行われるほどだったことは忘れてはならないだろう。政府関係者の中からも、未だ「オリパラ感染拡大という最悪シナリオ」を危惧する声は少なくない。

今月実施された東京都議会議員選挙では、特に立憲民主党・日本共産党の候補者を中心として、オリンピック中止が1つの争点となっていた。言うまでもなく、感染急拡大と医療ひっ迫を懸念するからである。

にも関わらず、このザマはなんだろうか。まさに「密」そのものである。一部ネットユーザーの投稿では、彼らが花火の打ち上げやドローンによるパフォーマンスにカメラを向けている様子も見られる。

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彼らは結局「声を上げている自分たち」に酔っているだけなのだ。本来の目的を見失い、ただ中止のためだけに暴走する集団。もはや彼らの声には誰も耳を傾けない。

3つ目の矛盾 政治による利用と分断

終始存在したのは政治による利用だ。そもそも国際オリンピック委員会の五輪憲章では、オリンピックの政治利用を禁じている。

にも関わらず、先述のように選挙の争点とする政党や、逆に大会成功の目標を政治的なプロパガンダとして発信する政治家なども居た。かつてナチス・ドイツのヒトラーは、自国で開催されたオリンピックを国民の支持を集めるのに利用した歴史がある。

挙句の果てには、「天皇陛下しか止められない」などとツイートする政治家も現れるほどだった。

陛下しか五輪止められない 立民・川内氏がツイート│共同通信

彼らの頭の中にあるのは当然自分自身や所属政党の人気取りだ。オリンピックにさえ触れていれば、少なくとも注目される。それを利用しているのである。舐められているのは国民なのだろう。

こうした政治家たちの傲慢さに加え、人々はこの論争に付き合わされ続けた。分断されたのである。論点は様々だ。

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もちろん開催そのものの是非も非常に大きいだろう。あちこちから聞こえてくる双方の立場からの意見表明と、割って聞こえてくる罵詈雑言。そして、「不祥事」によって辞任・解任に追い込まれていった大会関係者の「欠席裁判」も、そこ各所で行われた。

毎日のように報じられる過去の悍ましい言動と、それをセンセーショナルに報じるメディアも絶えない。人々はそれらに憤り、新たなる憎しみを増やし続けた。

1年前、アメリカのミネソタ州ミネアポリスで始まったジョージフロイドの死に起因する様々な混乱を、日本人はどこか「対岸の火事」だと見ていたのだろう。いかなる国であろうと、根源的な分断の懸念はどこにでもある。

だが、仮にも「平和、寛容」を掲げる祭典が論争の原因になるのは、悪い冗談にも程があるのではないだろうか。

2020東京オリンピックの評価を決めるのは「歴史」だ。

ここまでこのオリンピックにまつわる様々な矛盾について挙げてきた。思えば招致以来、課題は尽きなかったのではないかと振り返る。

だがこのイベントが多くの国民を魅了し、惹き付け、終了後しばらくまで、話題の中心にあり続けることに変わりはない。そこには様々なリスクと紙一重であるという点と同時に、多くの人々の努力の結晶であることも忘れてはならないのだ。

そうしたことを全て含めれば、この一大イベントの是非について、直ちに評価を下すことは出来ないだろう。日本人が判断の必要性に気づくのは、オリンピックが既に過去のもの、「歴史」となった時である。

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だから今は、見守るしかない。支えるしかない。この目に焼きつけるしかない。それしかないのだ。

 

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Akiおとな研究所 編集長

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おとな研究所 編集長
趣味は短歌、動画編集。不登校経験あり。

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