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ロックフェスの歴史と反省点 -ゲストライター

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ライター:Rea-on Twitterアカウント 会社員


ロックフェスの歴史と反省点

新型コロナウイルスの影響下で有観客で開催されたフジロックフェスティバル2021。開催はネット配信され、来場者のコロナ無策ぶりに批判も相当殺到し、批判する記事もTwitterで広く拡散されるなどかなりの関心をネットユーザーに与えたのは間違いない。

また、主催や出演者には反与党的な態度を取る者、五輪中止論を掲げていたものも居た。実際、東京五輪2020に関しては開催に相当の反発があったのも事実であり、それでも開催に当たって無観客にするなど対策していたのであるが、フジロックフェスティバルはそうではなく観客達はまともに社会的な距離も取らず、運営やアーティスト達もそれを咎めた様子はなかった。

各アーティストの演奏は素晴らしかったもので、全否定するつもりはない。それは五輪も同様である。

フジロックフェスティバルは昔から奥田愛基氏や玉城デニー沖縄県知事を呼ぶなど、日本野党系の色が強く、ミュージシャンにもASIAN KUNG-FU GENERATIONなど主張が反与党の色が強い者が参加している。その為、コロナ禍の被害者意識はミュージシャンとしても高いのは分かる。

しかし、中途半端に思想性がある故に、アジカンによるタイマーズのテーマの替え歌で「ネトウヨやめてよ、レイシストやめてよ」「こんなデタラメな政府とさよならしたいよ」「ガースーやめて」という替え歌に喝采が集まり、歌手MISIAさんの君が代歌唱には五輪反対論や一部左翼的なフェス参加者、配信視聴者も相まって批判されてしまったのもロックといえど知性に欠ける。

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レイシストは問題だとは思うが、ガースーやめてや君が代批判は明らかにフェスを政治集会と勘違いした、お金を払った観客に対するやってはいけない分断であり、やるのならせめて偉人の楽曲の替え歌などではなく自分らの歌でやるべきであった。

公金まで入れて、観客はコロナガン無視でフルスペックに近いフェス運営がされた事も、しっかり自粛をやっていた、そうせざるを得なかったアマチュアミュージシャン、ライブハウス経営者等とプロ音楽業界との分断を生みかねないものであったと筆者は考える。

現に筆者がよく通っていたライブハウスの1件は自粛の中で閉店に追い込まれた。ライヴができない事で解散に追い込まれたバンドも居る。

筆者にとっても、ロックフェスというのは、サマーソニックでMotörheadやAVENGED SEVENFOLD、The Offspringを前にモッシュダイブなどで永久に汗の臭いが落ちないTシャツが出来上がってしまう思い出もある素晴らしいものであるが、この先フジロックの面々のような拗れた邦楽メジャーシーンの世界を愛せるかどうかは自分には分からない。

政治的ポジションで同調圧力をかけつつ、到底正義とは言えない無法行為を命懸けで楽しむ愚かなおじさんに筆者はなれないからだ。

ロックフェス文化の源流、60年代とヒッピー

60年代にはモンタレーポップフェスティバル、ウッドストックフェスティバル、アイル・オヴ・ワイト・フェスティバルなど深夜や早朝問わず音楽を垂れ流す凄まじいフェスが米英で開催された。

The Who、Jimi Hendrix、Janis Lyn Joplinといった黎明期のヒーロー達が集う凄まじい時代でもあった。

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当時のフェス来場者の中心はヒッピーと呼ばれる「自由人」達であった。彼らはベトナム戦争の徴兵から逃れ、反戦、反帝国主義的な意味も含めた主張を持っており、より若者にとってのタブーを打ち砕く姿勢は共感を集めたが、その治安は決して良くなかった。

大麻、LSDなどの若者の薬物汚染を拡大させたのも間違いないからである。それが原因で若く死に至ったロックスター達も数多く、その代表がJimi Hendrix、Janis Lyn Joplin、Paul Kossoff等である。
ヒッピー達の自然主義、平和主義的な思想は現代でもSDG’s等の現代の価値観にも近いものが見られる。

ヒッピー文化と音楽

麻薬と東洋趣味、自然愛、放浪などから着想を得るものはフォークソングやカントリーの他に、やはりサイケデリックロックである。極彩色の曼荼羅やマーブル模様のようなアートワークや不思議なパターンのリフが含まれる難解な楽曲など、我々の触れるオールド音楽とは趣の異なる世界がそこにはある。

やはり、触れなければならないのはビートルズのSgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Bandだろうか。全編に渡って夢のような空気が漂い、ビートルズの多くの人のイメージからは離れてると思われる。中々音使いが可愛らしく、ロイ-RöE-さんなんかをちょっと思い出す。

タイトルナンバーはジミヘンドリックスもモンタレーポップフェス等にてカバーしている。アイアンバタフライのIn-A-Gadda-Da-Vidaのファジーなギター、キーボードの音色、怪しいリフといった後のオルタナティブロックにも通じるところが有り、不思議な楽曲である。

クリームはEric Clapton、Jack Bruce、Ginger Bakerを擁するそうそうたるメンバーによるスーパーバンドである。クロスロードのようなブルーススタンダード的な楽曲も彼らに掛かれば爆発的なロックとなってしまう。

古き良きロックフェスティバル

モンタレーポップフェスティバル

ロックフェスの草分け的なイベント、モンタレーポップフェスティバルは、アメリカ合衆国カリフォルニア州モントレー(モンタレー)にて1967年6月16日から18日までの3日間に渡って開催された。筆者は父親の持つ、Jimi Hendrix、 Redding Jrの両面のLDを視聴したことがある。

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当時のジミヘンは楽曲の半分がカバー曲であった記憶だが、それを感じさせないほどにオリジナリティが爆発していた。ギターに油を撒き、炎上させるパフォーマンスは、楽器破壊のザ・フーを超えるインパクトを残した。オーティスの演奏は、正直あまり趣味ではないのもあり、やたら「ガッタガッタ」言ってた印象しかないが、今見返すとそれも非常に陽気でかっこいいものである。

ウッドストックフェスティバル

今回は半分はこれを取り上げる為に記事を書いている。フジロックの様相に近い状況が起こってしまっているフェスだからだ。本フェスはアメリカ合衆国ニューヨーク州サリバン郡ベセルにて、1969年8月15日午後から18日午前にかけての4日間行われた非常に長丁場のフェスである。

筆者はやはりJimi HendrixやThe Whoがお目当てで父親のLDを見ていた記憶がある。WHOの演奏はロジャーダルトリーはマイクをぶん回し、ピートタウンゼントは腕をブンブン回してSGをかき鳴らす。ロックオペラ「トミー」の楽曲もセットに入っている。Jimi Hendrixによるアメリカ国歌のエレキギターインプロヴァイスはたまに行われるギター国歌演奏のオマージュ元となったものであるが、楽器演奏者はどのような批判にさらされるか分からないので国歌の演奏には相当な覚悟が必要である。案の定、フジロックフェスティバルで君が代を歌唱した際に炎上騒動となった。

「ウッドストック~愛と平和の3日間~」というドキュメンタリー映画にて、演奏ではない部分の人々の動向などを観察する事もできる。広大な土地にチケットを持たない者まで侵入し、ゴミで溢れ、トイレも数が間に合わず、食料も枯渇、川で体をシャンプーにかける人々の姿、マリファナを回し吸いする観客など、ヒッピー達の負の側面も記録されている。死亡事故や出産も起こっているが、当時の運営ノウハウのない時代としては驚く程平和な祭典だったとされる。

ワイト島フェスティバル

1968年8月31日 – 9月1日より70年までの3年間、イングランド南岸にあるワイト島で行われていた野外音楽フェスティバルである。

70年においては映像に残るJimi Hendrixの最期の勇姿が記録される。「ロックミーベイビー」が「ラヴァーマン」に改題されるなど細かな変化が見られる。2002年より、2014年まで復活開催された。

カリフォルニアジャム

カリフォルニア・ジャム (California Jam) は1974年4月6日、アメリカ合衆国カリフォルニア州オンタリオ・モーター・スピードウェイにて開催されたロック・フェスティバル。主催はアメリカのABCテレビジョンである。

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このフェスは何といってもディープ・パープルである。当時のパープルはデイヴィッド・カヴァーデイル、グレン・ヒューズを擁する第3期の面々であり、アルバム「BURN」の楽曲や2期の曲も堪能できる他、リッチー・ブラックモアによるジミヘンもビックリな機材破壊パフォーマンスが凄まじい迫力であるが、いかんせん録音があまり良くないのが惜しい。

当時の背景セットの「虹」が、リッチーブラックモアの独立後のバンド「レインボー」のビジュアルの発想元となる。ブラック・サバスもオリジナルメンバーでの出演をしている他、イーグルスもオリジナルメンバーであり超絶豪華である。

近代的ロックフェス

ウッドストック1999

今回、半分これを取り上げる為の記事といっても過言ではない。が、ウッドストック1999のヤバさはフジロックなどと比較にならないダントツさがある。

1999年7月23日から25日にかけてニューヨーク州ロームで開催されたこのフェスは、ウッドストック69より酷い惨状である。

セキュリティを高めているにも関わらず、観客は暴徒化し、逮捕者が7名も出てしまっている。その中身は器物破損、ATM強盗、レイプ、放火などである。その背景には、過去の歴史があるにも関わらず、不法侵入など開催側の都合だけを強化し、トイレなどの衛生面の不備、アスファルト環境の酷暑、高額な飲料などに観客が耐えられなくなった側面が強く、運営側の失敗であると総括できる。

フジロックフェスティバルも、オリンピックは無観客でやったのだから、せめて客を入れるなら社会的距離などは守らないと中止くらいの事をやらなければならなかったはずだ。公金まで入っているのだから。

出演アーティスト自体は筆者の世代により近いものが多く、豪華に感じる。こちらも、ドキュメンタリー形式の映画が制作されている。

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https://www.youtube.com/watch?v=BO2pqQjR8Ws

総括

このように、ロックフェスというのはやはり失敗もあり、それは黎明期に限った事ではない事が分かる。ただ、運営する側はそういった古き良きフェスの出来事を、ただ思い出として、ただ伝説として語り継ぐのではロックを愛する人々を守る事が出来ないのではないか、そういう観点に立つ事も是非やっていただきたい。

政府においても、お金を出すのはいい、ただ、表現とは関係ない安全な運営には大号令を掛けるなどしないと、成り行き次第では普通に人が死ぬのがフェスというものである。

また、紹介したフェスの映像は不完全ながらも市場に出回っており、興味のある方は是非遥か60~70年代の自由な空気を味わっていただきたい。1曲を10分以上にも渡ってインプロヴィゼーションを行うなど、現在では珍しいパフォーマンスの数々は、最早いつハマってもいいものである。


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