リバタリアンによる婚姻制度廃止のすすめ -ゲストライター

ライター:中条やばみ @yabami_nakajo

※この記事は、ゲストライターによる寄稿記事です。おとな研究所編集部や所属ライターが作成した記事ではありません。なお、寄稿の応募はコチラから誰でも可能です。


現在、婚姻制度はあまりにも身近で当たり前の存在である。そのため、現状の婚姻制度に対して疑問を抱く人は少ないと思われる。ここでは婚姻制度の廃止を主張する。そして、この記事をきっかけに、広く皆さんに婚姻制度の廃止について考えていただければ幸いである。

本稿ではまず、リバタリアニズムの基本原理を説明する。次に、現状の婚姻制度の問題点を指摘する。そして、リバタリアニズム的な自由・正義の観点から1婚姻の性質2婚姻制度による自由の制約が存在することを説明する。これらを前提に、婚姻制度の廃止を主張する。最後に、婚姻制度の擁護論を批判的に検討する。

リバタリアニズムの基本原理

リバタリアニズムの最も基本的な原理は「自己所有権」である。自己所有権とは「各人は自分自身の人身と能力の道徳的に正当な所有者である。それゆえ、各人はほかの人々を侵害しない限りで、その能力を自分の好きなように用いる(道徳的な)自由がある」というものである。この原則に従えば、「各人は他人や政府から強制的な干渉を受けずに自分の好きなことができるが、それを超えて他人に手出しはできない」ことになる。

リバタリアンは、社会的寛容を尊重する。リバタリアンは「人はそれぞれ独立した個人であり多様な価値観が存在する」ということを前提にしている。リバタリアンは、自由主義が普遍的な原理であると信じる一方で、特定の生き方や価値観が絶対的なものだとは考えない。リバタリアンは国家の中立性を重要視する。

これは、国家が強制力をもって国民に特定の価値観を押し付けてはならないということである。国家の中立性は、自己所有権テーゼから容易に導かれる。また、国家は国民の税金を徴収しているのだから、その税金を特定の価値観(集団)のために用いることも許されない。

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また、リバタリアンは平等主義である。ここでいう平等とは結果の平等ではなく、自由の平等である。自由権(生存権も含まれうる)は普遍的な人権であり、誰もが持っている権利だと考えている。したがって、リバタリアンは自分と違う価値観であっても他人の自由を擁護する。

現状の婚姻制度の問題点

(1) 現状の婚姻制度には様々な問題点が存在する。それは、個人間の自由な関係を阻害し、また国家の中立性を損なっていることである。これは、上記の原則すべてに反するので、リバタリアンが現状の婚姻制度を擁護するのは不可能である。

(2) 現状、法律婚が可能なのは異性愛的一夫一妻的結婚(男女の一夫一妻制)のみである。なぜ、同性婚や一夫多妻・多夫一妻・多夫多妻、複数婚、近親婚が認められないのだろうか。

また、法律婚には、夫婦同姓という要件がある(要件か効果か争いがある)。この要件は夫婦の姓を別にしたいカップルの法律婚を制限している。なぜ夫婦の姓を同一にする必要があるかは明らかではない。むしろ、夫婦で新しい姓を創ってもよさそうなものである。(婚姻制度の話から脱線するが、私は戸籍制度を廃止して氏名を自由化すべきだと思っている。)

そして、結婚には様々な義務が発生する。セックスレスや不貞行為は離婚自由になる可能性があり、同居義務がある。婚姻関係にあったとしても、夫婦がセックスするか否か、他者とセックスをして良いかどうか、夫婦が同居するか否かは当事者で決める問題であって、強制法規にするものではない。

法律婚カップルは、事実婚カップルに比べ、様々な優遇措置がなされる。例えば、税制上の控除、相続、病院での面会の特権、保険の加入などである。さらに扶養控除は専業主婦のインセンティブを様々な角度から与えている。そのため法律婚をするインセンティブが存在し、国家が承認する特定の形態の婚姻(異性愛的一夫一妻制)を国民に押し付けているのである。

(3) このように、国家は、婚姻制度の対象を国家が承認する形態の婚姻(異性愛的一夫一妻制)に限定し様々な優遇措置を設けることで、個人の自由な関係を阻害している。特定の婚姻形態のみを承認することによって、正規の結婚と非正規の結婚とに区別し、国民に特定の道徳的価値観を押し付けている。また、各種優遇措置は形式的平等さえも損
なっている。

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婚姻の性質と、婚姻の自由に対する制約

(1) ところで、婚姻とは自由権(好き勝手やっていいもの)だろうか、もしくは単なる制度(国家の提供するサービス)だろうか。婚姻は制度上の権利であるという見方が多数のようである。しかしながら、「最高裁令和 3 年 6 月 23 日大法廷判決の裁判官宮崎裕子,同宇賀克也の反対意見」は、婚姻の自由を擁護する。

すなわち、「婚姻自体は,国家が提供するサービスではなく,両当事者の終生的共同生活を目的とする結合として社会で自生的に成立し一定の方式を伴って社会的に認められた人間の営みであり,私たちは,原則として,憲法 24 条 1 項の婚姻はその意味と解すべきであると考える」としている。この考えはリバタリアンの考えとほぼ一致する。

(2) このように、自由主義者は、婚姻それ自体が本来的に自由な営みであると考える。この前提に立てば、国家が婚姻の要件を課すことは自由に対する制約である。これに対して、事実婚ができるのだから婚姻の自由はなんら制約されていないという考えもあろう。しかしながら、2-(3)で見たように、国家は特定の婚姻に特権的地位を与え、婚姻制度は事実婚を非正規の結婚として位置づけている。

pixabayより

婚姻制度の廃止(婚姻の契約化)

婚姻制度を廃止する現実的な手続きとしては、民法第 4 編を削除し、家族関係を民事連帯契約などの契約にすることを提唱する。

この条文は婚姻の自由を損なうものではなく、法の執行を補助するための確認規定にとどまる。この構想によれば、婚姻は完全に私的な契約であり、当事者の関係は契約の内容のみによって規定される。このようにすれば、現状の問題点はすべてクリアできる。一方で、貞操義務や同居義務などを契約に盛り込めば、現状の婚姻制度と全く同じような結婚が可能である。

他人の人生に口出ししたい人や、国家による承認を受けたい人以外は特に困らなさそうである。重婚が可能になったことで、一夫一妻的な婚姻がしにくくなると嘆く人もいるかもしれない。ただ、それは単なる性的指向のミスマッチであるし、現状でも浮気する人間が多い(もし貞操義務を契約に盛り込んでいれば、損害賠償が請求可能である)。

婚姻制度の擁護論

現状の婚姻制度を擁護する保守主義者は、同性婚や選択的夫婦別姓を認めない点で魅力がない。彼らの多くは、婚姻とは子孫をのこすための制度だと主張するが、異性愛カップルでも子をつくらない者や不妊カップルが存在するので、不合理である。また、同性カップルであっても子をつくることは可能であるし、里親になることも可能である。

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家族の一体感・識別機能は、個人の選択に優越する利益ではない。同性婚や選択的夫婦別姓を主張するリベラルの婚姻制度は、表面的にはマイノリティに配慮するものである。しかし、彼らの主張する婚姻制度は、他のマイノリティを排除するものでしかない。その主張の多くは、結婚には愛か性行為が付属するという規範や一夫一妻的な規範がなお残っているからである。

「最小の結婚」などの多元的リベラルの立場はリバタリアンと近いものではあるが、国家の介入を必要とし婚姻制度を認めるものである。国家が多様な婚姻関係を承認することで、今まで婚姻制度から排除されてきたマイノリティの尊厳を回復するという点は魅力的である。しかしながら、婚姻制度廃止への途中経過にすぎないように見える。

結びにかえて

字数の問題から、詳細に記述することは避けた。興味を持った方は、エリザベス・ブレイク「最小の結婚」、安念潤司「『人間の尊厳』と家族のあり方―『契約的家族観』再論」、森村進「自由はどこまで可能か」などを読むことをお勧めする。


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