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日本学術会議は、解体すべきだ。

日本学術会議は、解体すべきだ。

 菅義偉首相が、日本学術会議の新会員任命に際して、6人の任命を拒否した。このことが、多くの議論を呼んでいる。多くの学者は任命拒否に批判的であるが、特に一部は「学問の自由」(憲法23条)を侵害して憲法違反であるとまで主張している。またその一方で、与党寄りの人々は、全く問題が無いと主張している。今回の問題の核心は、どこにあるのか。

「学問の自由」の問題にしてはならない

 憲法23条は、学問の自由を保障している。東大ポポロ事件判決(最判昭和38年5月22日)によれば、「学問の自由」とは、学問的研究の自由・研究結果の発表の自由・教授の自由を保障しているのであって、さらに大学の自治権も、学問の自由の保障を徹底するために同条において保障されている。

 今回は、「日本学術会議」と言う名の政府機関に任命されるかされないかという問題に過ぎない。まさか憲法23条で、政府機関に任命を受ける自由が保障されているとでも言うまい。そのようなことを言う人は、憲法を知らないがゆえに、憲法をいつでもどこでも持ち出しているに過ぎない。本来であればこのような失当な主張に取り合う必要などないのであるが、法学者まで「学問の自由」を持ち出している現状では、多くの人がミスリードされかねない。あくまで、今回の問題に学問の自由が関係ないことについて、強調しておきたい。

 仮に、大した報酬のない政府機関(日本学術会議)に任命されない程度ことで学者が委縮すると言うのであれば、そのような主張こそ学者をバカにしている。ほとんどの学者は、権力におもねずに、研究に努めている。

 もし、今回の問題が「学問の自由」に対する侵害だと言う研究者の方がいれば、違憲訴訟を提起すれば良いだろう。確実に、違憲判決など取れないだろうけれども。

日本学術会議こそが、学問の自由を制約している

 菅政権と日本学術会議、どちらが個々の研究者の学問の自由を制約しているのか、ここではっきりとさせておきたい。日本学術会議こそが、学問の自由を制約しているのだ。

 2017年、日本学術会議は軍事研究は行わないという声明を発出し、軍事に関連した研究に対し圧力をかけ、委縮させた。政府の内部にある公的な機関が、個々の研究者の自由を奪ってしまっているのである。

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik20/2020-10-05/2020100502_01_1.html

 上の記事は、私と同様の見解を述べた橋下徹元大阪市長を批判したものである。確かに、学問の自由は国家からの自由だと言う赤旗・共産党の意見には賛同する。しかし、学問の自由が国家からの自由なのであれば、政府の中にある機関である日本学術会議が、個々の学者の研究内容に対し、圧力をかけるようなことはあってはならない。赤旗をはじめとする左派系メディアは、科学者コミュニティーの自律権などという詭弁を持ち出しているものの、最高裁判所の判例上、研究者コミュニティーの自律権は大学の自治という形で認められているに過ぎない。大学の自治と個々の研究者の研究の自由が衝突するという事例であれば、どちらが優先するか検討に値する。しかし、公的機関・日本学術会議の意向と個々の研究者の自由であれば、明らかに後者が優先すべきである。なぜなら、判例上研究の自由は学問の自由に含まれると明示されているからだ。

どのような人々が任命拒否を「憲法違反」だと批判しているか

 学術会議問題を憲法問題化したくて仕方がない人として、次のような人々があげられる。

(1)米山隆一元新潟県知事

 自民党→維新の会→野党統一候補という政党渡り鳥の米山隆一氏。以前は自民・維新にいたにもかかわらず選挙に当選できず、いつのまにか自民・維新に批判的な立場に変節し、今となっては左派系御用論者と化している。新潟県知事を務めたが、大学生を買春したことで、任期途中に辞任に追い込まれたことでも有名である。今回もまた、日本学術会議の一件について、意見を述べている。

 しかし、上記の米山氏のツイートには明確なミスリードがあると申し上げておきたい。というのも、憲法上に、その機関の独立性の根拠があるか否かという点である。裁判所は、司法権の独立(76条3項)から、他の権力からの独立が憲法上要請されている。大学は憲法23条(大学の自治)という点から国家権力からの独立性が要請される。一方で、憲法上独立性の根拠を有しないような、いち政府機関である日本学術会議には、学術会議からの会員推薦に対し内閣が任命拒否できないほどの高度な独立性を、認めることはできない。

(2)山口二郎法政大学教授

 立憲デモクラシーの会代表を務めている山口二郎氏は、今回の問題に関しても真っ先に声を挙げている。ただし、山口二郎氏といえば、度々失言を繰り返すことで有名である。最近では、9月に発足した新国民民主党を「はぐれ者が集まる掃き溜め新党」と述べるという暴言を行った。

 同氏は、安保法制が国論を二分した平成27(2015)年にも、安倍首相に対し、「お前は人間じゃない!叩き切ってやる!」と述べている。この発言はデマだという反論が散見されるが、デマではない。本当に言っている。

 このような、政敵を小ばかにしたような態度を取る人の言論については、私たちは耳を傾ける必要などないだろう。

問題の核心は?

 では、任命拒否に全く問題はないのか。

 結論から言えば、問題がある可能性が高い。どの点に問題があるかと言うと、首相が任命に関して認められた裁量の範囲を逸脱していないかという点である。

 任命とは、行政行為であるため、任命権者に一定の裁量が認められている。ただし、その裁量の範囲は事案によって幅がある。憲法上の独立性は認められないとしても、日本学術会議会員任命にあたっては、学術会議の一定の独立性を尊重すべきである。そのため、首相に裁量が認められたとしてもかなり狭いものであろう。すなわち、推薦された者が不適格であるという特段の事情がない限り、推薦通りに任命すべきと私は考える。

 今回の任命拒否は、この「特段の事情」があるかについて、いまだに具体的な説明がないため、この点に関しては、菅首相は説明すべきである。説明ができなければ、違法の問題が生じうる。仮に違法でなくても、妥当か不当かという観点から、政治的責任を負うことはある。

 ところが、立憲民主党・共産党・社民党(以下「左派野党3党」と言う)の批判は、今回も的外れである。憲法違反を仕立てあげると言う「ホームラン」を狙って「フルスイング」したところ、「空振り」しているようなものだ。丁寧に、首相に認められた裁量を超えたか否かという点に絞って議論すれば、国民の共感も得られただろう。違憲というワードを使わず、非立憲という言葉のみを使えば、国民が呆れることもなかっただろう。悪名高い野党合同ヒアリングを実施しなければ、「パワハラ」だという批判も来なかっただろうし、官僚の負担も大きくならなかっただろう。左派野党3党は、自ら墓穴を掘っているとしか思えない。

日本学術会議は、解体すべきだ

 今回の一件を機に、日本学術会議の存在意義自体を見直すべきである。すなわち、本当に国民の税金で成り立たせることが妥当な組織なのか、ということを再検討すべきである。ただし、もちろん、「任命拒否」について菅首相らの説明を待って、違法不当の問題があればそれを解消することを前提として、である。

 「任命拒否」を受けて、多くの学者が独立性を重視した意見表明をしている。国庫から運営資金を拠出し、政府機関として運営している以上、政権の意向に必ずしも従う必要はないとはいえ、政権から一定の関与をうける余地は否めない。独立性を重視するのであれば、国の税金を受け取らず、学者自身のポケットマネーや寄付金を元手として、運営すべきではないか。民営化の具体的な方法論に関しては、早稲田大学招聘研究員の渡瀬裕哉氏も提案しているところだ。

https://www.newsweekjapan.jp/watase/2020/10/post-9.php

 学者の側に覚悟があるのであれば、民営化も成功するはずだ。国民の側からすれば、選挙を経ずに国の予算に影響力を行使できるという点で、一種の「既得権益」である。私たちも、このような既得権益としての学術会議のあり方が適切か、再考すべきである。

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