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選択的夫婦別姓 どさくさ紛れの「兄弟別姓」に警戒すべきだ

選択的夫婦別姓案は一通りではない

 おとな研究所でも、すでに選択的夫婦別姓問題について取り扱っている。

 選択的夫婦別姓そのものは、実現の必要性・許容性がともに認められる制度であり、もはや実現されるのは時間の問題であろう。しかし、だからこそ、どのように実現されるのかにこだわるべきである。

 よく、「選択的夫婦別姓にはデメリットがない」と言われてきた。そして、導入推進派が、選択的夫婦別姓に反対する保守派を、「支離滅裂」などと非難しては、分断が生じてきた。今回は、選択的夫婦別姓も、制度設計によっては大きなデメリットが生じうるという点について取り上げたい。すなわち、子どもの姓の決め方をめぐり、「兄弟別姓」を許容するかという問題点である。

「兄弟別姓」のデメリット

 「選択的夫婦別姓は、仕事などの必要上結婚後も生まれ持った姓を名乗り続けたい人が、名乗り続けられるようにするための制度だ」と、一般的に理解されているだろう。夫も妻も各自元々生まれ持った姓を名乗り続ける「だけ」であれば、反対する理由が少ないだろう。もっとも、同一戸籍同一氏の原則は、夫婦の一方にのみ修正を迫られることにはなる。しかし、それが夫婦のみで完結する話であれば、子どもについては選択的夫婦別姓の影響はなく、戸籍制度を今の形で維持することは可能であろう。

 しかし、これは、平成8(1996)年の法制審議会の答申案に基づいて、子どもの姓の決め方を決めた場合だ。法制審議会案では、子供の姓は結婚時に決定することとしている。子どもの姓をめぐる無用な紛争を避けるとともに、学校や役所の事務的負担を増やさないという観点からすれば、当然子どもの姓は結婚時に決定されるのが望ましい。法制審議会の案と厳密には異なるが、日本維新の会が令和2年に決定した通称使用法定化案は、このタイプの選択的夫婦別姓であると評価できる。

 子どもの姓を出生時に届け出ることになれば、「選択的兄弟別姓」ないしは「選択的姉妹別姓」まで出現し、上記のようなデメリットが生じてしまうのだ。「兄弟別姓」の同時導入を前提とした選択的夫婦別姓を掲げているのは、立憲民主党・社民党・共産党の左派野党3党と、公明党・旧国民民主党である。このような案がもしまかり通った場合には、例えば以下のようになる。甲野太郎氏と乙川花子氏が婚姻し、選択的夫婦別姓を選んだとしよう。このカップルから三人の男子が生まれたとして、甲野一郎、乙川次郎、甲野三郎のように、兄弟を別々の氏名にすることが可能であるのだ。

 これらの案を出す政党や団体は、話し合いで決めればいい、と夫婦の自主性を尊重する。しかし、ここは夫婦の自主性だけで決めるべき問題ではない。様々な局面で「兄弟別姓導入のコスト」が生じることとなる。

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 まず、学校では、運営の必要上兄弟姉妹がいるか把握しておくべき場面がある。従来ならば兄弟姉妹はほとんどの場合名字が同一であるから、教職員も兄弟姉妹を把握しやすい。しかし、兄弟別姓となると、いちいち兄弟姉妹を覚えていられないという事態となり、逐一データベース等を確認する手間が生じるだろう。

 役所でも、兄弟別姓の弊害が考えられる。出生時に子どもの姓を届け出る「兄弟別姓」の方式では、出生届で生まれたこともがどちらの姓を選ぶのか、役所は確認しなければならない。年90万人の新生児について、逐一名字がどちらかを確認しなければならなくなるのであれば、役所にとって膨大なコストである。

 また、同一戸籍同一氏の原則が完全に崩壊することになる。これでは、戸籍の意味がなくなるので、戸籍の崩壊を意味することとなる。

 最後に、何よりも「兄弟別姓」のデメリットとなるのは、夫婦が子どもの姓を話し合いで決められなかった場合である。この場合、調停や訴訟によって解決をしなければならないが、裁判所を使う場合には多くの公費がかかる。訴訟経済の観点から、無意味な紛争を生じさせる「兄弟別姓」は許容すべきでない。また、子どもの姓を決められなかったことから、出生届をいつまでも出せず、無戸籍の子どもが現れることもあり得る。この場合は、その子どもに対し、大きな不利益を被らせることとなる。

「兄弟別姓」の必要性

 以上より、兄弟別姓には大きなデメリットがあるとわかるだろう。これに対して、兄弟別姓の必要性について考えたい。

 想定されるのは、2通りである。夫婦双方の姓を次の世代に残したい場合、それが容易であるという点だ。次に、親が離婚や結婚を繰り返した場合でも、同一戸籍同一氏の原則を壊せば、子どもが親に姓を合わせなくても、同一戸籍に入れられることだろう。

 では、これらのメリットをどのように法的に評価すべきか。夫婦同氏制度合憲判決(最大判平成27年12月16日)が参考となる。夫婦同氏制を合憲だと位置づけた同判決の背景を理解するにあたり、寺田逸郎裁判官の補足意見が参考となる。

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 寺田裁判官は、「法律制度としてみると,婚姻夫婦のように形の上では2人の間の関係であっても,家族制度の一部として構成され,身近な第三者ばかりでなく広く社会に効果を及ぼすことがあるものとして位置付けられることがむしろ一般的である」と説示しており、家族制度とは、広く社会に効果を及ぼすものだと位置づけるべきと、寺田氏(をはじめとする最高裁の多数派)は考えている。そのうえで、「法律制度としての性格や,現実に夫婦,親子などからなる家族が広く社会の基本的構成要素となっているという事情などから,法律上の仕組みとしての婚姻夫婦も,その他の家族関係と同様社会の構成員一般からみてもそう複雑でないものとして捉えることができるよう規格化された形で作られていて,個々の当事者の多様な意思に沿って変容させることに対しては抑制的」と述べ、家族関係は簡略に規格化されるべきであって、個々の思い思いで制度を変容させるわけにはいかないと評価している。

 寺田裁判官の補足意見をもとにしても、なお夫婦同氏制そのものは、今後違憲となる可能性はないとは言えないだろう。しかし、夫婦同氏制ですらなかなか憲法違反とならない現状を考えれば、最高裁が「兄弟同氏制」を違憲とすることはまず考えられないだろう。同補足意見の述べるとおり、社会制度の一種である家族制度は、可能な限り簡略に作られるべきであって、学校・役所・裁判所をはじめとする社会に無用なコストをかける兄弟別姓は、導入に極めて慎重であるべきだろう。

 そうすると、次の世代に夫婦双方の姓を残したいという利益は、兄弟別姓を認める理由とはなりづらい。このようなレアケースともいえる個々人の希望をすべて通していれば、社会制度は極めて複雑にならざるを得ないからである。また、離婚と再婚を繰り返し、子どもと姓が異なる場合も、複数の戸籍を取得するというコストを、当事者が受忍すべきである。

「兄弟別姓」に警戒を

 選択的夫婦別姓に反対していた保守派は、これまで「家族が壊れる」などというあいまいな理由しか述べて来られなかった。しかし、選択的夫婦別姓の最大のデメリットは、子の姓の決め方次第で生じる「兄弟別姓」ではないだろうか。ここを中心に反対理由を組み立ててこなかった反対派には、猛省を促したい。

 その上で、私自身は、選択的夫婦別姓賛成である。それでもなお、兄弟別姓に警戒を呼び掛けたい。「兄弟別姓」こそが、無駄なコストを社会にもたらす反面、メリットは小さいからである。「兄弟別姓」となる選択的夫婦別姓案であれば、反対すべきである。

 そして、選択的夫婦別姓賛成派の多くは、夫婦の双方が婚姻前の氏を継続するという限りにおいて、新たな選択肢を作りたいと希望していると考えられる。現に、内閣府の世論調査(平成29年12月)でも、58.3%が選択的夫婦別姓の場合でも子ども同士の姓は同一とすべきと回答している。これはつまり、「兄弟別姓」のリスクが世に広まった場合、選択的夫婦別姓そのものの反対も増える可能性があることも示唆している。

 そうだとすれば、選択的夫婦別姓は、法制審議会や日本維新の会の案をベースに考えるべきである。同時に、「兄弟別姓」を企む一部の人々に、警戒をすべきである。

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維新の「通称使用法定化案」が現実的

 日本維新の会の足立康史衆議院議員は、左派野党や自民党とは違った視点から、選択的夫婦別姓について長期的に取り組んでいる。すなわち、左派野党の過激な「兄弟別姓」案や、現行の制度と維持とは、一線を画したものである。そのため、法制審議会よりは現行制度よりだが、法制審議会案に最も近い現実的な案として、足立氏と維新の「通称使用法定化」を評価したい。

 当初は足立氏の私案であったが、今は、日本維新の会が通称使用法定化を推進するという立場を取った。この立場が最も今の国民に受け入れられやすく、令和の時代にふさわしい新しい答えであろう。維新の通称使用法定化案を高く評価したい。

中道政党・国民民主党の対応も問われる

 選択的夫婦別姓がいつまでも実現しないのは、左派野党や左派系団体が「兄弟別姓」にこだわり、反対派の不安を煽っているからである。9月の野党再編を経て、新国民民主党は左派野党から脱却する意思を明確にしている。しかし、選択的夫婦別姓については、どのような立場を取るのか、明らかとなっていない。選択的夫婦別姓という重大な問題について、左派野党と歩調を合わせるのか。そうなれば、新国民民主党も左派野党のくくりに入れられる可能性もある。改革中道政党を謳うのであれば、反対派の不安にも真摯に耳を傾けて、現実的に実現可能な案を模索すべきである。新国民民主党も、この問題に関しては、維新の会に追随すべきである。