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「民主党」はどこへ行くのか

1 2つの民主党「立憲民主党」と「国民民主党」

 4月中旬~下旬、野党第一党立憲民主党の支持率が激減したことが各社の世論調査で明らかとなった。立憲民主党の福山幹事長は、「高井議員のスキャンダルが原因だ」と述べている。高井議員の疑惑については、優秀な新社会人の書いた記事に譲ろう。

しかし、高井議員のスキャンダル以前に取られた調査でも激減している以上、高井議員の問題以前に、国民の支持が離れたと考えるべきである。他方、国民民主党は玉木代表を中心に、中国発祥の新型コロナウイルス問題に関する経済対策を提案し続け、存在感を現している。しかし、政治に注目していない有権者から見れば、どちらも「民主党」ではないのか?

 「憲政史上最小の野党第一党」私がある日最寄り駅に入ろうとしたときに、立憲民主党の地方議員が同党をアピールするために演説していた言葉である。なぜ、かつての民主党は、「立憲民主党」「国民民主党」に分裂した状態にあるのか?どちらが、民主党の後継者なのか?両党の同じ点と違いとは何か?

 友達に、「国民民主党の玉木代表が」と言ったら、「国民民主ってなに?」とぽかんとされた。まだ結成から日の浅い「国民民主党」はもちろんのこと、下手したら「立憲民主党」も、多くの国民に党名すら浸透していない。

 「まあ、どっちも結局は民主党でしょ」と考えずに、両党の違いに注目してほしい。そして、両党の党名と違いが多くの皆さんに浸透することによって、今までと一味もふた味も違った形でニュースや国会中継などをご覧いただけると、嬉しい限りである。

2 「民主党」が「民進党」に

(1)下野と党勢の落ち込み

 民主党は平成24(2012)年12月に政権を失い、下野した。そこから安倍自民党政権が発足した。安倍政権は、異次元金融緩和を軸とした経済政策「アベノミクス」を提唱し、うなぎ上りの株価の後押しも受けつつ、300近い議席を手にした。一方で、民主党は、政権を失って以降党勢が低調となり、翌平成25(2013)年の参院選では惨敗。消費税増税による景気停滞や甘利経産大臣(当時)らのスキャンダルで、安倍政権の勢いが落ち着いた平成26(2014)年の衆院選でも、議席の回復はわずかであった。それどころか、海江田万里代表(当時、東京1区)が比例復活もできず落選するなど、異例の事態となった。

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 それでも、海江田氏が、民主党を最も厳しい状況から立て直したのは事実だ。産経・FNN世論調査で、平成25年10月には5.1%まで落ち込んだ支持率を、同氏が代表を辞任した直後の平成27年1月には11%まで回復させている。

(2)安保法制と「民進党」結成へ

 民主党は、安保法制に対し真正面から対決姿勢を出した。ここまでの民主党は、民主党政権時代の経済を過度に美化する点や、金融政策を理解していない点など問題はあったものの、安倍政権との経済政策の違いを明確化して、あくまで政策主体で勝負しようとしていた。

 しかし、安保法制以降は、対案を明確にしないまま、むやみに対決姿勢を強めることとなった。安倍政権は、他国が攻撃された場合に日本が反撃に参加することができない点に問題意識を持っていた。しかし、民主党は離島防衛に関する「領域警備法」などの、想定される場面が全く異なる法律を対案として出した挙句、SEALDsや共産党と一緒に強く反対した。政権をやがては担うべきはずだった政党が、SEALDsなど「市民勢力」のデモに、党幹事長クラスの役員を送り込んだ。政権担当能力を大きく失った瞬間であった。蓮舫民主党代表代行(当時、現立憲民主党副代表)も、SEALDsデモでスピーチを行っている。

2015.09.06 SEALDs新宿アピール 民主党の蓮舫さん情熱のスピーチ

法案の問題点を明らかにするより、「戦争法案」というレッテルで国民の戦争に対する恐怖を煽ったように私は感じた。安倍政権を「立憲主義に反する」と言っていたが、民主党は立憲主義を理解していたのだろうか?(後述)

 さて、安保法制の意義と問題点については、別の記事に委ねることとする。ともかく、岡田代表(当時)の下で、安保法制に「違憲廃案」の一点貼りで強く抵抗したことが、民主党左傾化の引き金となったのであった。

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 そして、安保法制の前後で分裂し非大阪系(今の「日本維新の会以外」を言う。)の議員が残った維新の党と平成28(2016)年3月に合流し、民進党を結成した。代表は、岡田代表のままである。

(3)止まらぬ左傾化、止まらぬ劣化

 岡田代表のもとで、民進党の左傾化、劣化がさらに進んだ。

 まず、憲法9条改正反対を明確に打ち出したという点がある。海江田代表時代の平成26年衆院選マニフェストでは、「平和主義を守りつつ、未来志向の憲法を作る」と打ち出しており、党内の改憲派にも護憲派にも配慮した書きぶりとなっている。しかし、岡田代表時代の平成28年衆院選マニフェストでは、「平和主義を脅かす憲法9条改正に反対」と、9条改正に反対することが明確になっている。

海江田民主党(平成26年)のマニフェスト

https://www.dpj.or.jp/global/downloads/manifesto20141202.pdf

岡田民進党(平成28年)のマニフェスト

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https://www.minshin.or.jp/election2016/file/yakusoku.pdf

 次に、共産党、左派市民団体を含めた野党共闘を始めたという点がある。地方ではそれぞれの事情に応じた政党相乗りが確かにあった。しかし、北海道5区補選で始まった国政での野党共闘は、これまでと異質なものであった。参院選では、安保法制廃止が民進党の政策の柱となり、共産党や市民連合まで含めた野党共闘が行われた。テレビでは、連日民進党幹部と共産党幹部が同じ選挙カーの上に載っている姿が映された。

共産党・市民連合を含めた左派野党共闘の政策協定(平成28年参院選)

https://www.tokyo-np.co.jp/senkyo/kokusei201607/zen/CK2016060802100016.html

このため、改憲派も護憲派も幅広く在籍し、広く国民の賛同を集めることのできた国民政党としての民主党、民進党は壊れてしまったのである。民進党は、9条改正反対と、共産党・市民連合との政策協定により、護憲政党と化してしまった。

 さらに、これは民主党時代ではあるが、民進党結党直前期に立憲主義に反する国会対策を行ってしまった。平成28年1月、民主党はおおさか維新の会の予算委員会質問時間を不当に削減した。

おおさか維新は「ゆ党」? 衆院予算委の質問時間めぐり与野党紛糾

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https://www.sankei.com/politics/news/160107/plt1601070047-n1.html

思い出してほしい。民進党は安保法制について散々「立憲主義」と連呼していた。しかし、この民主党、民進党の行いこそ、国会議員が「全国民の代表」であるという憲法41条や、議院規則を議院自身が定めてこれに則って議論を行うという憲法58条2項前段の趣旨に反する行いである。なぜなら、国民が国会議員を選んでいる以上、基本的には議席数に比例して質問時間を配分するということが、憲法の趣旨に適うからである。民進党は、立憲主義に反すると安倍政権を糾弾する割に、立憲主義に反する行動を堂々としていたのである。

 その結果、岡田代表は、平成28年参議院選挙で負け、与党に3分の2の議席を許してしまったのである。以上のような党運営もあって、憲政史家の倉山満氏には「安倍政権に3分の2の議席を与えた立役者だ」と揶揄されている。

3 希望の党への合流、立憲民主党結成

 岡田代表が参院選敗北の責任を取る形で辞任し、蓮舫代表が新代表になった。しかし、蓮舫代表も党勢を復活させることができず、都議選大敗の責任を取り平成29(2017)年8月に辞任した。そして代表選挙では、野党共闘の見直しなどを主張した前原氏が当選した。前原新代表のもとで、党勢の立て直しを目指した民進党であったが、8月に離党した細野議員(現自民党会派)に続き、9月には笠議員、後藤議員(現国民民主党)なども相次いで離党。保守系議員による離党ドミノが収まる気配を見せず、解散風も吹き始めた。そこで、前原代表は、都民ファーストの会が国政政党化した希望の党に党ごと合流するという奇抜な策を提案する。そして、党の両院議員総会で満場一致で合流を決定した。決議内容は、民進党衆院議員と支部長は希望の党で出馬する一方、民進党としては全力で希望の党を応援するというものである。

民進党、希望との合流提案を満場一致で承認

https://toyokeizai.net/articles/-/190859

しかし、希望の党が「安保法制」と「憲法改正」に賛成する者のみを候補者として認める意向を示したため、それに反発した左派系議員が、相次いで希望の党で出馬しないという意思を表示した。10月2日、枝野代表代行は民進党を離党し、党幹部でありながら両院議員総会決定の趣旨に反する形で立憲民主党を結成した。そして、辻元氏、長妻氏、菅元総理をはじめとするリベラル系がこれに呼応する形で入党、同党から出馬した。

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 結果的に、希望の党は小池代表(当時)の「排除します」の一言がメディアで繰り返し流されることで不評を買い、野党第一党を取れなかった。その一方、立憲民主党はメディアに好意的に報道されたこともあり、野党第一党の地位を得た。ただし、立憲民主党は民進党の離党者によってできた政党に過ぎず、法的にも、事実の上でも、民主党の後継政党ではない。

4 国民民主党の結党と略歴

 その後、希望の党は支持率が落ち込み、1%台をさまようようになった。また、結果的に民進党出身者の中道~保守系が発足メンバーよりも多く当選したため、希望の党の色は「中道な民進党」であった。一方、参議院には選挙区事情で中道保守系の議員が多くいたため、合流は難しくなかった。そこで、平成30(2018)年5月、両党が合流し、国民民主党を結党した。

 国民民主党は、改革中道勢力を謳い、左傾化していた民進党から、安保法制以前の民主党のレベルまで中道に回帰したと評価できる。2019年の参院選政策集では、自民党の9条改正案は、自衛権の限界が明記されていないことを理由に反対するものの、9条も含めた憲法改正そのものの議論は行うという「論憲」の立場を示した。

国民民主党2019参院選政策集

https://www.dpfp.or.jp/election2019/downloads

 しかし、国民民主党には大きな問題がある。まだ、「国民民主党」の党名で国政選挙を1回しか戦っておらず、支持率が平均1%にあるのである。玉木代表が全国遊説を行ったり、提案路線を打ち出したりして存在感をアピールしているが、野党共闘に加わっているため、左派野党のカテゴリーに入れられている。また、令和元(2019)年臨時国会から、立憲民主党と共同会派を組んでいることもあり、国民から見てより存在感がなくなっている可能性がある。

 令和元(2019)年末、国民民主党と立憲民主党の合流の機運が一度は高まった。しかし、下に示す通り両党の政策には少なからず違いがあることや、参議院で対立が続いていることなどを理由に、合流は翌年1月に破談となった。破談となった背景には、立憲民主党が国民民主党に過剰な要求をしたこともある。

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5 立憲民主党と国民民主党の違い

 ここで、現状における両党の違いを確認しておきたい。これを読めば、決して一緒だとは思えないだろう。

国民民主党「新しい答え2019」

https://www.dpfp.or.jp/election2019/downloads

立憲民主党「立憲ビジョン2019」

https://cdp-japan.jp/news/20190624_1863

(1)民主党の後継政党か否か

 国民民主党は、民進党(参議院)と希望の党が合流した政党であるため、法的に民主党の後継政党である。一度は政権を担った政党の後継政党であるだけに、政策集も詳細にわたっているし、民主党政権との連続性が見て取れる。また、党組織もしっかり整備されている。

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 一方の立憲民主党は民主党との直接の関係性はなく、民主党政権との整合性を取る必要が無いのだ。だからこそ、大胆にリベラルな姿勢を打ち出せる。もっとも、立憲民主党の党幹部の方が、民主党政権で閣僚を務めた人が多いのであるが。

(2)憲法に対する姿勢

 立憲民主党は護憲色を強めていて、9条改正に反対するのはもちろん、憲法審査会開催にも消極的である。

 国民民主党は、護憲も改憲も様々な議員がおり、憲法審査会での議論には積極的である。希望の党時代には、地方自治などの項目について憲法改正案を作成するなど、各論の議論をする準備も整っていると言えるだろう。

 なお、安保法制については両党ともに見直すとしている。特に立憲民主党は廃止すると明確にしているが、政権を仮にとったとして本当に廃止することが可能なのだろうか。

(3)経済政策

 両党とも家計を重視した経済政策を取っている。しかし、両党ともマクロ経済政策が政策集に存在しないという重大な欠陥を備えている。例えば、経済成長率、インフレ率の目標とそれを達成するための手段が示されていない。

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 しかし、国民民主党には期待できる面も残されていると考える。中国発祥の新型コロナウイルスの経済対策として、3月18日にどの政党よりも早く①1人一律10万円給付、②10兆円規模の休業補償、③1年程度の5%消費減税を国民民主党単独で提案した。4月には、野党5党でまとまって提出した家賃猶予法案について、後藤祐一議員をはじめとする国民民主党議員が提案を主導した。さらに、玉木国民民主党代表は上記の財政支出と連動した金融緩和の必要性にも言及している。日銀出身の大塚耕平氏も、日銀の対応を遅すぎると批判するなど、党全体として「政府と日銀の対応は生ぬるい」と建設的な批判・提案を展開している。

(4)少数者の人権問題

 立憲民主党は少数派の人権問題について、政策集の1頁を丸ごと使って同性婚、選択的夫婦別姓などの政策を訴えている。私は、この点については、立憲民主党を積極的に評価したい。立憲民主党が平成29年10月の衆院選で躍進した理由のひとつに、マイノリティなどのようにこれまで政治がスポットライトを当ててこなかった人たちに着目したことがあげられると考えている。

 対して、国民民主党は政策集の端に人権問題について小さく書いてあるに過ぎない。党内で多様な見解があることがうかがえる。

(5)政治に対する姿勢の違い

 国民民主党は、「つくろう、新しい答え」のコンセプトのもと、国民から多くの声を拾い、提案型野党として新しい立ちポジションを模索している。例えば、近藤和也議員(国民民主党)は、緊急事態宣言中の4月に電話で国民の要望を聴く活動を地道に何度も行っている。

また、上記に挙げた通り、政府にどんどん提案を行い、政策を実現させている。何度も言うが、4月中旬に決定した国民1人あたり10万円の一律現金給付を、最も早い3月18日に提案したのは、国民民主党である。家賃猶予法案提出までの流れでも、立憲民主党の存在感は薄かった。

 対して、立憲民主党はコロナ問題において、存在感を発揮できていない。その様子は、存在感を見せる国民民主党とともに取り上げられている。

立憲、コロナ対応で埋没 国民「提案路線」と対照的

https://www.jiji.com/jc/article?k=2020042101047&g=pol

上記の10万円一律給付に関しては、4月2日に国民民主党案を丸呑みしたに過ぎない。しかし、決定した直後、公式ツイッターや多くの党幹部が「従来から野党は一致して一律給付を訴えた」と発信し、あたかも立憲民主党が現金一律給付の実現に大きな役割を果たしたかのような発信を行った。その結果、立憲民主党は、SNSを中心に「国民民主の手柄を横取りした」という多くの批判を浴びた。

さらに、安住国対委員長は、2月に新聞社の評価を野党控室に張り出すという前代未聞の失態を見せた。「立憲」民主党という党名を背負いながら、憲法21条(表現の自由)の趣旨にもとる行動をとり、メディアに圧力をかけてしまったのだ。この事件は、山尾志桜里議員(無所属)の離党の一因になったと言われる。

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https://www.fnn.jp/articles/-/23514

 立憲民主党は、「まっとうな政治」を掲げている。そして、「立憲主義」を重視しているという。しかし、同党が現に取っている行動は、立憲主義と真逆ではないだろうか。これでは、新聞各社の世論調査で支持率が急落するのも、やむを得ないのではないか。

6 まとめ

 以上が、2つにわかれた「民主党」の現状である。立憲民主党と国民民主党は、まったくカラーの異なる政党になってしまった。質問時間のテーマ配分を見ても明らかである。

国会質問でも、立憲民主党はスキャンダル追及中心、国民民主党は政策の議論中心となってしまっている。これだけ、両党のスタンスに隔たりができてしまえば、昨年末の合流が破談に終わったのも当然だと私は考える。

ともかく、両党はここまで違う政党であり、スタンスも異なることがご理解いただけたのではないか。皆さんは、どちらの政党のあり方が、野党としてふさわしいと考えますか?私は、中道改革を謳う国民民主党の方が民主党の理念を正確に受け継いでおり、野党としてふさわしいスタンスであると考えている。もっとも、読者の皆さんには違う見解の方もいらっしゃると思うが、これを機にぜひとも「野党としてふさわしい野党のあり方」を考えてほしい。

私の記事が、皆さんに対する問題提起になることを願っている。

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