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ポストコロナの社会像:「リーン」な政府を

2019年、中国武漢から発生した新型コロナウイルスウイルス感染症は全世界で猛威を振るった。日本国内でも約73万人が感染し、長期に及び感染症対策を強いられ、社会経済に大きなダメージを与えた。コロナ危機により、日本の現体制における問題点が露呈し、誰もが現状からの変革を求めるようになった。ワクチン接種の開始によりコロナ危機の終結が見え始めた今こそ、ポストコロナ社会の設計図を描くチャンスとなる。

政府の新型コロナウイルス対応は確かに他国と比べれば優秀な点もあり、一概に批判されるべきではないだろう。日本独特の優秀な官僚機構に支えられた所もある。しかしながら、これは官僚機構や現在の制度に多大な負荷を掛けた対応であり、感染状況が欧米諸国と同様レベルとなっていてたら間違いなく政府機関の多くは崩壊していてただろう。

自己完結型の巨人政府

将来にわたってコロナ以上の危機に対応出来る自己完結型の政府を作るとすれば、それは確かに巨大な政府が必要であろう。医療機関を始めとする産業の国有化は不可欠となろうだろう。しかしこの論には大きな欠陥ある。

コロナなどの危機にも対応できる巨大な国有産業は確かに一気にアウトプットを拡大させ、問題に対処出来る事は可能であろう。しかしながらそれなりの維持コストが必要となり、平時では国民がそのような負担を受け入れる事はないだろう。更に国有化されたからと言ってどのような危機にも対応できる訳ではない。医療機関が国有化されている英国でもコロナによりキャパシティー超過により医療崩壊が発生した。想定外が存在する以上、必要な「ジャスト・インケース」を測る物差しは無いし、測れたとしても、平時に政府がそれほどの赤字支出を行う余裕は今の日本にない。

国有医療制度を保有していたにも拘らず、医療崩壊したイギリス(ピンク)

「リーン」な政府とは?

即ち、今の日本に必要なのは自体に応じて規模が変わるスケーラビリティが高い政府であり、「リーン」(Lean)な政府である。

それでは一体リーンな政府とはどのような政府なのだろうか?リーンな政府とは事態に応じて柔軟な対応ができ、リーダシップが発揮され、迅速に行動が行える政府である「必要な時に必要なだけ」をコンセプトに、平時には民間の活躍を阻害せず、有事には民間の力を借りれる政府の事である。

有事においても政府自体の規模は小さくても問題は無い。逆に政府の規模が大きくなれば組織が問題に対して臨機応変に対応する事は不可能となる。平時でも有事でも政府自体の規模は総理、官邸のリーダシップが発揮できるリーンな方が良いのである。

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しかし、リーンな政府は無策な政府では無い。無策で小規模な政府は危機に於いて国民を守る事はできない。リーンな政府は有事に使用できる予算規模と法的フレームワークを保有する政府なのだ。

法的フレームワークと予算

緊急時には、平時には使用されない強制力を伴う法整備は必須である。政府自体がインフラを保有していなくても、正当な対価と引き換えにその用途を強制的に指定できる権限は必要だ政府自体がそのインフラのノウハウを持つ必要性は無い、それこそ民間の力が発揮されるべき所なのである。大まかな方針と予算を与え、残りはプロフェッショナルである民間に任さられる政府が必要なのであろう。例としては、医療危機時における民間病棟の接収、地震発生時における空港設備の接収などが考えられる。平時においては効率性がより高い民間に病院や空港運営を任せておいた方がサービスの質は高くなり、無駄も省けるが、有事には公共の福祉の為に用途を制限する事が必要となる。

コロナ対応で露呈したもう一つの問題は中央と地方の関係である。都市での感染拡大など局地的な問題の対応はより現場に近い都道府県が行うべきなのだが、権限が少ないため、国への要望書が乱発される事態となった。国も地方別の対応に追われ、一律型の対策では急変する事態に対して間に合わなくなった。危機的な事態では対応の速さで救われる人の数が大きく変わってくる場合がある。医療機関などの重要な機構に対する対応は地方に移譲されるべきであるし、特定の範囲では地方自治体が省令、法令を「上書き」する権力を持つべきだ。これらの問題もリーンな政府で解決される事である。

勿論、地方間の財源差があるのは事実である。そして、この格差は是正されるべきでもある。ただ、それは政府による恣意的、裁量的な予算配分では無く、自動的な水平的再分配を用いるべきだ。政府は必要に応じて金を出し、重要な部分は現場を分かっている地方と民間に任せられる行政機構こそ、リーンな政府なのだ。

官僚統治制度の破壊を

中央集権制度を地方分権で解決したとしても、中央、地方両方で官僚機構による独断政治が進めば政府規模は自然を肥大化していくだろう。行政は勝手に自己拡大していく習性があり、それではリーンな政府は実現されない。重要なのは「ビジョンを官僚と言う特権階級が独断決めてはならない」のと、「実情を知る民間が意思決定プロセスに関わる事」なのである。

その為に欠かせないのが「政治主導」と「民間登用」なのだ。今の日本には、唯一最大のシンクタンク霞が関が策定した方針、「プランA」しか存在しない。そして国民はその「プランA」を体現する自民党に信任投票で意思を示す事しかできない。逆に政権交代が起きても、霞が関以外のシンクタンクが存在しない為、新しい与党も霞が関の言いなりとなる。そこで必要なのが民間登用だ。霞が関から政策立案を引きはがし、各政党やコンサルに持たせるようにする。そうすると、各政党が持つ大まかなプランを具体化させるのが霞が関の仕事となる。今行われている「民間登用」は民間を単純な下請けとするものであり、民間独特のクリエイティビティが活かせておらず、肥大化した行政機構のパシリ状態となっている。

そこで必要なのが「官僚人事の政治集約化」と「民間人の登用」である。政権が変わる度にその民意を活かす人材が政治任用され、官僚機構をコントロールする。任用される人は民間より選抜され、経験を運営に生かす。アメリカ式の制度である。リーンな政府を実現するには官僚が固定化された特権階級から、時限的に民間から登用される「助っ人」に変革しなければならない。

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リーンな政府は民意を元に政策を立案し、その実行過程で民間の力を最大限に利用する政府だ。必要以上の機能をもたず、法的拘束力と予算力でリーダシップを発揮し、危機を乗り越える政府だ。無駄な機構を持たず、スリムで筋肉質な政府だ。無駄を省いたからこそ、危機にたいして迅速に対応できる政府だ。政府の仕事は「リーダー」なのであって、「ワーカー」では無い筈だ。今の政府は「ワーク」に囚われすぎて「リード」する事を忘れている。再びリードできる政府が今求められている。


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