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政党所属の大学生と著名人の応酬に、政治家が介入する余地はある。だが、今回ではない!

本件の経緯について

 皆さんご存知の通り、この記事は、渡瀬裕哉さんと維新の会学生部員の論争に、維新の会の議員が介入したことが、妥当であったのかを検証する記事である。本件は、日本維新の会学生部のとある部員による指摘に対し、早稲田大学客員研究員の渡瀬裕哉さんが、「(個別訪問)まずはやってこいよ。それから話は聞いてあげます」等のように、上から目線で挑発的な言動を繰り返した結果、あろうことか維新の会の守島正大阪市議会議員が介入し渡瀬さんに謝罪した事案である。その経緯の詳細については、Aki編集長の記事に譲ることとする。

参照:【主張】政党学生部に所属する大学生と著名人の応酬に、政治家が介入する余地はあるのか。

 この記事は、概ね正確な事実認定をしている点については、もっと高く評価されるべきである。この記事が唯一批判されるべき点があるとすれば、本件の介入を「言論の自由」の問題と捉えた点である。憲法上の権利の問題としてなのか、党内民主主義の一環としての言論の自由なのかが明らかになっていないが、政党といういわゆる部分社会の中で前者の問題として主張するには分が悪いからである。後者の問題となれば、維新が自由のない息苦しい政党だという印象を外部に持たれること自体が問題となりうるので、十分に成り立つ主張である。

音喜多駿参院議員が示した一般論

 さて、今回のタイトルの件については、音喜多駿参院議員が既に、記事でいかなる場合に議員による介入が正当かについて判断枠組みを示している。それに沿って、今回の件で守島議員が介入したのが正当であったのかを論じて行きたい。

 音喜多議員は、①当該学生の発言が、「党のもの(公式見解)」と受け取られかねないとき、②当該学生の発言が、党や仲間たちにとってマイナスの影響が大きいと考えられるときに介入をすべきであると考える。そして、①に当たるかの判断にあたっては、「これを判断するのは受け手側・相手側」だと言うので、本件で言えば学生部員と論争になった相手方の渡瀬さんが判断する側ということになろう。

 なお、音喜多議員の記事は、以下にURLを貼っておくため、興味がある人は閲覧をしていただきたい。

【関連】:学生の自由と大人の責任。政党学生部の発言・活動に議員が介入するのは、言論封殺や圧力なのか問題

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① 当該学生の発言が、「党のもの(公式見解)」と受け取られかねないときにあたるか?

 まずは、①の点に関して、Aki編集長の事実認定をもとに検討していきたい。

 確かに、渡瀬裕哉さんは、「貴党の看板がございましたので、政党としてのご見解と解し、今後貴党とのお付き合いを見直すことも考えておりました」と投稿しているため、渡瀬さんの視点で見ると、学生部員の投稿が、あたかも維新の公式見解であるとも思える。

 しかし、本件はそのような単純な事案ではない。渡瀬さんは「維新って勘違いしたガキが多いなあ笑、君は住民の声を何も聞けてないと思うけど。」とも投稿しているからだ。すなわち、渡瀬さん本人が、はなから学生を見下している以上、見下された対象である学生の見解が、党の公式見解だと誤信する余地は、極めて少ないと考えられる。

 さらに、渡瀬さんは、日本維新の会の政策ブレーンの一人として、日本維新の会と朝勉強会を開催したり、youtubeで共演するなどしている。いわば、維新の党関係者の一人なのである。その渡瀬さんが、維新の内情を知らないという事は通常ありえないことであり、いち学生部員の発信が党を代表するものでないことを、知っていたか知ることができたといえる。そうであれば、「当該学生の発言が、『党のもの(公式見解)』と受け取られかねないとき」には、該当する余地はない。

 むしろ、渡瀬さんは、いち学生部員の発言が党を代表するという、思ってもいないことを発言して自らの支持者・信者を煽動しているものと考えられるので、渡瀬さんが維新側に謝罪すべき案件であると言わなければならない。

② 当該学生の発言が、党や仲間たちにとってマイナスの影響が大きいと考えられるときにあたるか?

 この点について、当該学生部員の発言が党に対しマイナスの影響が及びうることは否定しがたい。ただし、介入が正当化されるためには、介入することによって得られる利益が、介入することによって失われる利益を上回るものでなければならない。すなわち、介入することによって、余計支持者が離反するようなことは、あってはならないのだ。

 まず、介入することによって得られる利益は、渡瀬裕哉さんと和解し、同氏や支持者が離反することを防ぐことにある。渡瀬裕哉さんのフォロワーは、8月3日時点で約1.9万人であり、渡瀬さんとその支持者が離反することを防ぐと言う利益は小さいとは言えない。

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 これに対して、渡瀬裕哉さんと論争した学生部員は、日本維新の会学生部の中でも幹部を務めるなど、人望のある存在であると考えられる。そうすると、介入することによって、炎上状態となることが明らかであるし、現にそのようになっている。介入したことが、問題をより大きくし、「維新がもめている」と外部に印象付けるものである。なぜなら、仮にそのままにしておけば、渡瀬さんが当該学生部員をブロックした段階で、争いは一旦終わるはずだったからである(上記の編集長記事参照)。

 さらに、この炎上によって、介入したことが知れ渡れば、「維新の会が党内の言論の自由をないがしろにする全体主義政党だ」というイメージが先行することになっているし、現にそうなっている。民主的な手続的正義を重んじる支持者が離反したり、維新のこれまでの「非民主的な面」(代表選が長期にわたって実施されていない点など)を見て支持をためらっていた層がより一層離反したりするだろう。これにより失われる支持者も渡瀬さんの支持者と同様少なくない。

 特に、今回のような相互が相手に挑発的な態度を取った事案において、喧嘩両成敗ではなく当該学生部員のみが悪者に仕立て上げるような介入は、これらの支持者の逆鱗に触れることである。しかも、当該学生部員が先に煽りツイートをしたのではなく、渡瀬さんが「勘違いしたガキ」や「頭が悪いガキ」などと誹謗中傷を繰り返しツイートした上でのことである。そうであれば、公正を重んじる支持者はどんどん離れていくだろうし、現にそうなっている。

 そうであれば、介入したとしても、介入しなかったとしても、一定の支持者の離反は避けられないと言える。では、どちらの支持者を優先するべきだろうか。

 まず、渡瀬さんは、減税派のリーダー的存在であり、「減税を実現すること」を第一義に考えている。そうであれば、現時点ではそうなっていないが、「維新の党勢拡大」と、いずれ利益相反関係に立つことも考えられる。すなわち、維新も増税を選択しなければならない局面が来ることもありうるということだ。そのときに、いずれ渡瀬さんとその支持者は離反するだろう。逆に、一度離反しても、減税のためであれば、部分的に協力してくれる余地はいくらでもある。彼らは、減税がすべてだからだ。

 次に、「手続的正義」を重視する支持者は、維新が手続的正義を履践する政党であれば、支持することを止めない。そして、維新が党内民主主義を発展させようとする限り、これらの支持者と利益が衝突することはない。他方、これらの支持者は、一度「維新が非民主的だ」と判断した場合、逆に反維新に転じる可能性がある。すなわち、一度離反したら最後、永久に戻ってこない支持者である可能性が高い。

 以上より、私は、「減税派」的な支持者よりも「党内民主主義」重視の支持者を優先すべきであると考えている。仮にどちらも甲乙つけがたいと考えたとしても、介入したことによって、介入しない場合より支持者の減少を抑えることができるとは言い難い。そうである以上、少なくとも、介入によって得られる利益の方が大きかったという事は到底できない。

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結論

 以上より、私は、音喜多駿議員が示した一般論に賛成するものの、今回の介入が正当化される余地はないと考える。介入する余地があるのは、少なくとも今回ではない。

 さらに念のために介入の方法についても論じておくが、①事前に当該学生部員本人の了承を取ることなく、②公開の場で謝罪した点については、最も最低であり劣悪な手段だと言わざるをえない。そうである以上、最悪な手段で介入を行った守島大阪市会議員は、当該部員に何らかの謝罪があってしかるべきである。まさか、守島議員がまだ本人と連絡を取っていないことはないと、信じたい。

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