維新と立憲は兄弟だ! -ゲストライター記事

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維新学生部所属の学生と、ワタセユウヤ氏との一悶着

昨日、維新学生部の学生さんと、減税派のワタセユウヤ氏との間で一悶着がありました。

私なりに咀嚼すると、以下の二点がポイントだと思っています。

①維新の会として、維新学生部所属の神谷氏の「失礼」を認めたこと

②実質的に、維新の会として、ワタセユウヤ氏の振る舞いを黙認したこと

今回、具体的にどういったやり取りがあったか、また、維新の会の対応のどういった点が問題であるかの具体的論考については、おとな研究所さんに寄稿されている、以下二つの記事に詳しく記載されていますので、この記事において、その点について深堀りすることは控えさせていただきたいと思います。

(私としても基本的に、この二つの記事で記載されている内容と同じ見解を持っています)

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参考記事:【主張】政党学生部に所属する大学生と著名人の応酬に、政治家が介入する余地はあるのか。

参考記事:政党所属の大学生と著名人の応酬に、政治家が介入する余地はある。だが、今回ではない!

さて、最近、立憲民主党で以下のような問題があったところです。記憶にも新しいかと思います。

立憲民主党の本多議員は、性行為への同意を判断できるとみなす年齢の引き上げを議論していた党の会合で、「50歳近くの自分が14歳の子と性交したら、たとえ同意があっても捕まることになるのはおかしい」と発言したと報じられ、批判が相次ぎました。

立民離党の本多平直衆院議員が議員辞職の意向表明|NHK

維新の会の話から、いきなり立憲の内容に飛んだので、「いきなり話題を変えるなよ」という感じもありますが、この記事で語りたいのは、まさに今回の維新学生部とワタセ氏の騒動と、立憲民主党の本多平直氏への対応の共通項についてです。

維新学生部とワタセ氏の問題と、立憲による本多平直氏への対応は同根である

あなたが常識的な考えを持つ場合は、同根なわけがないだろうという感想をお持ちになるかもしれません。一般的には、維新と立憲は対極に位置しており、むしろ近いのは国民民主党だとされています。しかし、今件と本多氏の件には以下の共通項があります。

①世間の風聞の気にした情治的な対応であるということ

まず、本多氏の件については、処分の基準のあいまいさが問題になりました。これまでに問題を起こした立憲議員への対応の度合いと比べると、今回、本多氏に課せられた処分は明らかに重いものでした。これは、規則に基づく法治的な対応ではなく、世間の目(衆院選)を気にした情治的な対応であることは明白です。その結果として、手続き論を重んじる比較的に立憲にシンパシーを持つ人々からは、「立憲民主主義」という党の根幹を否定したものと受け止められました。

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さて、今回の維新学生部に対する維新の会の対応も、実は構造は同じです。どうやら、維新が今回このような対応を行ったのは、なんらかの規則に基づく、法治的な対応では無いようなのです。

ワタセ氏と維新の会の距離は割合近く、ワタセ氏の発信力を鑑みても、維新の会としては粗雑に扱えない相手なのかもしれないですが、ワタセ氏の振る舞いは完全に間違いとは言えないまでも、維新学生部の神谷氏への侮辱的な言動は、若者の政治参加を妨げるような類のものです、これを不問にし、ワタセ氏に失礼を働いた(とされる)神谷氏のみに問題の原因を背負わせるのは、公平とは言い難い対応です。

私は把握していませんが、この件について、維新の会の中に何らかの規則があって、こういった対応がなされたのでしょうか?(なんらかの規則があるのでしたら、ご指摘を頂きたいです。早急に修正させていただきます)

全く同じ、とは断言できないまでも、世間の目を気にするがあまり、情治的な手法で問題解決を図ろうとしたという点では、維新の会の今件への対応と、立憲の本多氏への対応と、さほどの違いは無いのではないでしょうか?

もちろん、国会議員への対応という点と、党の学生部への対応といった点では、多少性質は異なるわけですが、なんらかの問題を起こした(とされる)党の関係者への対応という意味では、共通項があるかと考えます。有り体に申し上げれば、いずれもがトカゲの尻尾切りです。

②党に近い謎の有力者(政治勢力)が、謎の権力を行使していること

本多氏の件では、本多氏への重い処分を求める、「フラワーデモ」なる団体が暗躍していました。結果的には、この団体の主張が重んじられたような帰結を迎えたわけですが、選挙で選ばれたわけでもないこの謎の政治勢力に、どういった民主的な正当性や、権力の裏付けがあるというのでしょうか?

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もちろん、なんらかの政治勢力にしても、政党への働きかけをしてはならないというわけではありませんが、それが、政党に関わる他の人間や他の政治勢力よりも優遇的な扱いを受ける場合には、なんらかの決まりごとやプロセスに基づいて判断が下されるのが、民主的な統治の基本になるのではないでしょうか。

党内民主主義において、建前上はその参加者は誰もが公平な参政権を持っているはずです。その中で、一部の特別な人物(勢力)が逸脱した権力を振るうためには、なんらかの民主的な正当性が必要になるのではないでしょうか。

さて、今回の維新の件にしてもワタセ氏は維新と悪くない関係のようですが、なぜに彼はこうも、維新の会からの手厚い扱いを受けることができるのでしょうか?彼が維新の会に対して謎の権力を行使できる正当性は、いったいどこにあるのでしょうか?どういった民主的なプロセスにおいて、維新学生部所属の学生の立場が実質的に切り捨てられ、ワタセ氏のメンツが優先されるのでしょうか?

この点についても、一般有権者からいささか乖離した、謎の有力者や政治勢力が党内で幅を利かせており、その行動を歪める力を持ち得ているという点で、維新と立憲には共通項があるのではないでしょうか?

そもそも、維新と立憲は兄弟のようなものだ

私から見ると、維新と立憲の対応には様々共通項があるように思います。私はかねがね、「維新と立憲は兄弟だ」といった主張をTwitterで行い、様々な方からお叱りも頂いてますが、まさに今回、その私の主張が半ば証明されたと言ってもいいのではないでしょうか?(ごめんなさい、調子に乗りました)

維新と立憲、元を辿れば、2009民主党の残滓みたいなものだと思います。改革的な魂の部分は、「維新スピリッツ」として、維新に継承されたように思いますし、人脈的な部分については立憲民主党に継承されたものです。維新と立憲、実は2つで1つであり、コインの裏表のようなものなのです。

そして、党内で問題を起こした人間への対応も、実は類似した部分があるのです。失敗した人に対する姿勢にしても、自由を建前にした放任(無責任)ですし、その点もやはり、共通する部分が見られるのです。

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そして両党はこれまで、フルスペックでの代表選挙が実施されていません。一般有権者を含んだ代表選挙というのは、現代民主主義の原則的なプロセスであり、政権政党が持つべき要件の1つかと思います。(その証拠に、政権与党の自由民主党にしても、去年の総裁選挙では党員投票が省略されたにしても、各地では予備投票のようなことが行われました。これは、自民党の国会議員が、プロセスに基づいて、一般有権者の意思を尊重することの重要性をよく理解しているからです)

なお、維新と立憲の代表選挙については、以下の記事にて既に書かせて頂いてますので、リンクを貼っておこうと思います。

参考記事:維新に党内民主主義はあるのか?|渡邉坊|note

維新と立憲、全く対極と認識されるのが定見ですが、割合、類似点は多いように思います。

私見を申し上げれば、維新は反立憲を偽装した立憲みたいなものですし、立憲は、反立憲を偽装した維新みたいなものじゃないかと思います。異なる存在を気取りながらも、その実は同じ行動原理で動いてるのではないでしょうか。違いがあるとすれば、パッケージとしての部分なのではないかと思います。

常識的な見解をお持ちの方、維新の支持者や所属議員の方、並びに立憲の支持者や所属議員の方には、断固としてこの見解を認めて頂けないかも知れませんが、その行動原理を比較していくと、対極とされる両党にも共通項があるように思います。

この観点を切り捨ててしまえば、維新のありのままの姿や、立憲のありのままの姿というものは、なかなか語るのが難しいのではないかと私は思います。無論、1つの見方に過ぎないですが、容易に切り捨てられる視点でしょうか。

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時たま、維新や立憲に親和性が高い方々によって、弱小政党の国民民主党を格下に見る風潮があるように思いますが、格下の政党と支持率で比較して満足している暇があるならば、もうちょっとご自身の支持(所属)政党のことを、見つめ直された方が良いのではないかなあと思います。

維新も立憲も、下方比較ばかりしているように見え、正直、器量が小さいんじゃないかなあと思います。そんなに素晴らしい政党ならば、弱小政党を見下ろす前に、より高みを目指すために、ご自身が素晴らしいと思う政党のことを、省みたらどうかと思います。

ちなみに最近、国民民主党にも山尾議員の問題がありましたが、あれはむしろ、情治が無さすぎて、法治を重んじるばかりに、党として生煮えの対応になってしまったものと思います。

その点で、維新や立憲の問題とは性質が異なると見ています。玉木氏が一喝して怒り狂えば、山尾氏の問題などは直ぐに片が付いたのでしょうが、そうなれば国民民主党の法治への尊重の傾向に陰りが生じ、情治的な傾向が強くなったのではないかと思います。それはそれで、党としては失敗です。(だからと言って、山尾議員への対応の全てを肯定するものではありません)

維新と立憲の共通項、いまだに主流的な見解ではありませんが、だからこそ私は、維新と立憲の共通項を可視化させるために、この記事を書かせていただきました。

記事は以上となります。お読みいただきまして、ありがとうございました。

関連記事:立憲・本多氏が議員辞職 立憲の対応にみる身内への甘さを暴く

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ライター:渡邊坊 Twitter:@KENSEIKAI_KOHO

 

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