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【反論】東京五輪を失敗だと決めつけ脱成長を煽る斎藤幸平氏の記事の愚かさ

 経済思想家の斎藤幸平氏が、8日、AERAで「東京五輪失敗の根本原因はコロナではない」という記事を発表した。この記事は、東京五輪を失敗であると決めつけた上で、強引に脱成長を煽るものであり、私は到底賛同出来ない。したがって、当該記事に対する反論という形で、以下に斎藤氏の主張が馬鹿げたものであるかを示していきたい。

参考:東京五輪失敗の根本原因はコロナではない(AERA)

斎藤氏の主張の要約

① 「東京五輪は失敗」という見方が広がっている

 「コロナの感染拡大を心配する多くの人々が反対の声をあげていたにもかかわらず、強行開催された東京五輪。その危惧どおり東京の医療は崩壊し、「今回の五輪はコロナのせいで失敗した」という認識が広がっている。」

 斎藤氏によれば、東京五輪は失敗だという見方が広がっているという。そして、その背景には、中国を発祥とする新型コロナウイルスの流行があると考えられているという。

② 「東京五輪失敗」の根本原因は「祝賀資本主義」

「失敗の根本原因は別のところにある。問題の本質は、資本主義がスポーツを金儲(もう)けの道具にしたことなのだ。」「巨額の血税を注いで開催される五輪のようなメガイベントの本質を、米国の政治学者ジュールズ・ボイコフ氏は『祝賀資本主義』と呼び、批判している。人々がお祭り騒ぎで浮かれているスキを狙って、政府や開催都市の大型支出によって潤う企業が利権をむさぼり、その大きなツケを国民に背負わせるのが、『祝賀資本主義』である。」

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「東京五輪では、開幕直後にメダルラッシュのお祭り騒ぎがあったものの、感染爆発というツケがすぐに露見し、自宅療養で人々は見殺しにされようとしている。さらに、4兆円ともいわれる五輪の総費用やコロナ禍の長期化による経済の冷え込みが、これから国民を襲うことになる。」

 斎藤氏によれば、「東京五輪失敗」の原因は、資本主義によるスポーツの利用であるという。巨額の血税を利用して大企業が利権をむさぼり、その結果として五輪の開催費用やイベント開催によるコロナ禍の長期化が起こるそうおだ。

③ 勝利至上主義や能力至上主義が背景にある

 「それほど深く、勝利至上主義や能力至上主義は私たちの日常に溶け込んでいる。相手を打ち負かす姿に感動した、と私たちが思ってしまうのは、他の人よりお金持ちになりたいという願望や、ライバル会社を打ち倒してもっと成り上がるんだといった、資本主義のベースにある価値観や発想と非常に親和性が強いからだという事実に目を向けるべき」

 斎藤氏は、能力至上主義や勝利至上主義が、上記の「利権」の背景にあると考えており、五輪直前期に発覚した関係者の差別的言動ともつながっていると述べている。

④ だから脱成長が必要

「『脱成長』というと、我慢ばかり強いられる社会が連想されるかもしれない。しかし、ここまでに見てきたように、人々から<コモン>を奪い、生命よりも金だと言って、パンデミック下の五輪を強行した資本主義のもとで、私たちはとてつもない我慢を強いられている。むしろ、金よりも生命、金よりも環境という「脱成長」に舵(かじ)を切ったほうが、豊かさは保証されるのではないか。」

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 斎藤氏は、金儲けの道具と化した五輪は人を抑圧していると主張し、脱成長により人間の豊かさを取り戻すことが必要だと結論付けている。

検討事項1 五輪は失敗だったか?

 斎藤氏の主張は、東京五輪が失敗であることを前提に書かれている。しかし、国民の多くは五輪を評価しており、五輪が失敗だったと結論付けることは妥当ではない。むしろ、五輪と同時並行で新型コロナの感染が拡大している中で、国民の過半数が良かったと思える五輪なのであれば、大成功と言うべきだ。

 下のグラフは、3社の世論調査で聞かれた「東京五輪を開催して良かったか?」という質問に関する回答結果をまとめたものである。この3社で最も政権に批判的だとされる朝日新聞の調査でさえ、過半数の56%が「良かった」と回答している。五輪反対をこじらせるあまり、何でも失敗に見えてしまう人がいるようであるが、斎藤氏をはじめとする五輪中止派は、開催して良かったと考えている人が世論の多数派であることを受け止めるべきだ。

 五輪中止派は、五輪開始数週間前から連日反対デモで密を作りながら、「コロナ感染拡大の原因は五輪だ」とプロパガンダを続けてきた。しかし、そのような政治的意図をもってなされたプロパガンダに負けず、五輪は無事開催され、過半数の国民が五輪を支持したのだ。この事実は、重い。それゆえに、五輪は成功したと結論付けるべきだ。

参考:デモで「密」を作り出すオリンピック中止派 「オリンピック今からでも中止」論の無責任さ(おとな研究所)

検討事項2 商業主義は悪いことではない

 五輪に多額の税金が使われたことは事実だ。しかし、そのことによって、多くの雇用を生み出したことは明白である。五輪のスタジアムや選手村などの関連施設の工事のために、連日多くの建設会社等の従業員が、会場で仕事をしていた。また、多くの運営スタッフや会場の警備に関連して、多くの雇用が生まれている。これらの人々は、仮にオリンピックが中止となっていれば、コロナ不況で職を失っていたかもしれない。五輪が東京都内の雇用維持に果たした役割は大きい。

 斎藤氏は、おそらくスポンサーも問題にしているのだろう。しかし、スポンサーがいるからこそ、あれほど多くの競技を行うことができる。また、スポンサーのおかげで、選手村などの環境が整備され、選手が快適にプレーに集中できるようになっている。ビジネスを五輪に持ち込んだ結果、選手にプラスの効果が出ていることを、全て見落としている。

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 それに対して、斎藤氏の掲げている現代五輪の弊害は、そのほとんどが抽象的で、取るに足らないものだ。せいぜい、都営アパートの立ち退き問題で、対象者の方々への配慮が欠けた点だけが問題と思われる内容なだけである。神宮外苑地区の再開発の機会が生まれタワーマンションやビルが建設されたことは、むしろ良いことである。

 斎藤氏は、大学の教員である。だからこそ、世界を巻き込んでひとつの一大イベントを開催することによって、どれほど多くの人が関わることとなり、多くの人の雇用を生み出し、多くの選手の希望となっていることについて、想像力が足りないのだろう。

 企業が、商業主義、いわば金儲けを追求する過程で、救われる人々が数多くいるのだ。

検討事項3 「脱成長」は不要で有害、しかも五輪と関係ない!

 斎藤氏は、五輪との関係も良く示さないまま、上記記事の後半でいきなり脱成長の話をし始めた。斎藤氏は、大型施設や空調設備が、五輪のためだけに大量につくられ、大量廃棄も出てしまうことを、脱成長に無理やりつなげている。

 確かに、環境への配慮は、今後ますます必要になってくる。しかし、それはカーボンプライシングなどにより、環境に負荷のかかる生産活動に対しコストがかかるような制度を作った上で、あとは原則として市場の原理にゆだねるべきことである。環境問題への対処と脱成長は、このようにして両立する以上、「脱成長」すべき必要性は見当たらない。それ以上に、五輪と「脱成長」の関連性が良く見えない。ただ、無理やり自説に結びつけただけだろう。

 「脱成長」、すなわち経済成長を諦めることを美しく描く学者が少なからずいる。しかし端的に言えば、脱成長とは、少ないパイを奪い合う世の中である。日本は、1997年の消費増税から2012年のアベノミクス開始まで、継続して3万人の自殺者を生み出してきた。その間、ほとんど経済はゼロ成長である。脱成長を行えばどうなるかは、平成不況の日本が示している。サラリーマンの給与はなかなか上がらないまま、一旦リストラで職を失えば再就職ができないという恐怖におびえながら、嫌な人間関係にも耐え働き続ける。そのような社会が、斎藤氏が求めている「人間の幸福」に資するものだろうか?

 確かに、税金で食えない人を支えるのだという反論が考えられる。しかし、経済成長を止めれば増税しない限り国の税収は減る一方であるから、「脱成長」の社会では、生活困窮者や低所得者に再分配する財源もなくなる。かといって、増税すれば、より生活が困難になる人が増えるだけだ。

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 斎藤氏は、大学の准教授なので、日本が成長を諦めようが明日の生活には困らないだろう。既得権益を持つ者が、いくら脱成長を唱えたところで、説得力は無い。

 「脱成長」は、不要であるばかりか、有害でもある。

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