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【臨時国会召集見送り】政府の憲法違反を許しているのは政治全体の責任だ

 新型コロナウイルス蔓延下における2度目の夏が、まもなく終わる。この夏18歳になった筆者にとっては、一昨年まで毎年友人家族と行っていた旅行やお祭り、花火大会などももちろん無く、例年通りのことと言えばうだるような暑さだけであった。夏休みは延長したものの、昨年は実施できた学校行事が行われるのかもわからない。

 そして、コロナである。感染拡大は収まらないどころか、乱発される緊急事態宣言やまん延防止等重点措置なども、もはやその効果が限界に達しつつある。ワクチン接種は一定程度進んでいるものの、新型株の広がりにより重症化軽減への効果が限定化されたり、新たに異物混入の問題が起きるなど、課題は山積したままだ。

 コロナによる経済的損失も計り知れない。8月17日に行われた緊急事態宣言の延長拡大による経済的な損失は、最大3.4兆円であるとの試算もある。

参照:緊急事態延長、経済損失最大3・4兆円に 民間試算(産経新聞) – Yahoo!ニュース

 しかも政府は、本来解除する予定であった9月12日にも、「解除は難しい」という判断を示している。(朝日新聞)

 筆者は緊急事態宣言そのものの緊要性が失われつつある今こそ、政治主導で様々な課題に取り組むべきだと考えていた。だが、その期待は無残にも裏切られてしまった。

政府・与党は、野党側から要求されていた自民党総裁選挙前の臨時国会の召集は、しない方針を固めました。

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今年度予算のうち新型コロナウイルス対策のための予備費の残りはおよそ2兆5000億円程度となっています。野党側は、今月26日、「予備費を積み増すべきだ」などとして臨時国会の召集を与党側に要求し、政府与党は検討を重ねていました。

政府・与党 臨時国会召集しない方針固める(日本テレビ系(NNN)) – Yahoo!ニュース

 本記事を執筆する際、強烈なデジャブを感じた。約1年前にも全く同じことが起きているからだ。そして全く同じテーマで記事を書いたのである。

関連記事:臨時国会召集されず。経緯と背景を追う(2020年8月4日)

 この記事でも臨時国会召集が必要である理由を説明したが、今回再び要求を突っぱねたことは、憲政史上極めて汚点を残すものであることも言い添えた上で、ただちに臨時国会召集を行うべき理由を説明していきたいと思う。

政府による臨時国会召集は憲法上の義務

 まずは1年前にも解説した論点について触れておきたい。今月17日に野党4党-立憲民主党、日本共産党、国民民主党、社会民主党-は合同で院内集会を開き、「早期の臨時国会召集」を政府与党に対して求めた。

 だがこの院内集会には、開くだけの妥当性に疑問もある。間隔を開けマスクをつけているとは言え、集団でプラカードを掲げている様子をカメラに撮影させる理由は一体なんだろうか。これを見た与党側が、「野党には召集しても議論するだけの材料がないのだろう」と判断したとしたら、彼らのしていることは本末転倒である。

 この院内集会に意味があったと本気で考えているのであれば、彼らにも政治家としての資質が問われるだろう。

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 話を臨時国会召集に戻す。日本国憲法53条には以下のように定められている。

内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。

日本国憲法 第五十三条

 この4党の議席数を単純計算で足しても、衆議院で135議席、参議院で73議席。いずれも各議院の3割近くを占める。単純にこの条文を解釈するのであれば、内閣は召集を決定しなければならないのだ。しかしこの件はそこまで単純ではない。

 臨時国会が野党の要求をもってしても召集されなかった例は過去4回ある。うち2回は小泉政権下の出来事で、1回は2015年、あとの1回は無論昨年8月だ。これらのうち、昨年を除く3回は要求が行われたのが10月~12月にかけての年末である。2003年に、内閣法制局長官は「合理的な期間内に常会が召集される場合には、臨時会を召集しなくても憲法違反にはならない」と答弁している。年明けに通常国会が行われることから、臨時国会の必要性はない、という判断だというわけである。これを支持する学説も事実存在する。

 だが当然今回はわけが違う。衆議院の任期満了が訪れる10月21日を待つ形での臨時国会では、十分な審議ができないのは確実だ。しかも野党側は26日に改めて、「9月7~16日の間での」臨時国会を求めている。

 更に昨年6月には、2017年に安倍政権が臨時国会の召集を要求された際、3か月間応じなかったことが違憲か否かが問われた裁判の判決が那覇地裁で出され、損害賠償請求こそ棄却されたものの、以下のような司法認識が示されているのである。

  • 憲法53条は少数派の国会議員の主導による議会の開催を可能にする目的がある。
  • 内閣には、要求を受けた場合には合理的期間内に臨時国会を召集する憲法上の義務がある。
  • これに関する内閣による裁量権の余地は極めて乏しく、認められるとしても限定的である。
  • 単なる政治的な義務にとどまらず、法的義務があると解される。召集しない場合には違憲と評価される余地があるといえる。

 重要なのは下線部であるが、今回政府与党は「総裁選前の召集」即ち9月29日までの召集は行わないとの結論を下した。首班指名に影響する重要な選挙とは言え、「総裁選挙」はあくまで自民党のコップの中の争いである。明らかに党の内部事情を目安とし、憲法上定められた国会日程を決定することは、内閣の裁量権を大幅に超えたものと言わざるを得ないのではないか。

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予備費だけではない、臨時国会で議論するべき点は山ほどある

 今回、立憲民主党など野党が早急の臨時国会召集を求めているのは以下のような理由がある。

立憲民主党の安住淳国対委員長は26日、国会内で自民党の森山裕国対委員長と会談し、9月7~16日に臨時国会を開き、コロナ対策の予備費を積み増すための2021年度補正予算を成立させるよう求めた。

臨時国会、来月召集論 菅首相、解散余地でけん制か 政府・自民(時事通信) – Yahoo!ニュース

 だが筆者は、これについてはあまり評価できない。というのも、27日に、政府は追加のワクチン確保などにあたって約1兆4千億円の予備費の拠出を閣議決定した。これにより残額は2兆6千億円となるが、これでも相当額である。経済の状況を見ず、いたずらに積み増しすることは混乱を招き、これを臨時国会召集の大義名分としてしまっては、財務省はじめとした政府に召集拒否する口実を与えるようなものだからだ。もちろんだからといって召集拒否が妥当というわけではないが、野党側の戦略にも問題があったと言わざるを得ないだろう。

 そもそも異例と言われた昨年度予算ですら、2021年度に繰り越された額は30兆円を超えている。これは「規模ありき」で行われた3回の補正予算が原因と評価されており、緊要ではない予算を精査無しで組み入れてしまったことが原因とされている。

参考:30兆円超となった21年度予算への巨額の繰越金と追加経済対策 | 2021年 | 木内登英のGlobal Economy & Policy Insight | 野村総合研究所(NRI)

 昨年度予算から学ぶべきことは、歳出規模ではなく「どこに配分するか」という点であることは間違いない。野党にはそもそもその視座が落ちているのではないか。積極財政のみを訴えることは簡単だが、長期的な検討を行うのであれば、決して冷静なものとは言えないだろう。

関連記事:高圧経済の限界ー積極財政による高インフレ、低成長、不景気

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 重要なのは「実体経済を見る」ことであり、「如何にして家計や中小企業を下支えするか」ということである。飲食店は酒類販売の自粛や時短営業を強いられているが、補償がままならないことから、次々と従わない店舗が出ている。これもやむを得ないことだろう。閣僚から「金融機関を利用した脅し」の声が聞こえてくれば、それも当然のことだ。

関連記事:融資制限!?西村大臣による「金融機関」発言 内容と問題点を徹底解説

 そして、医療提供体制である。政府は今月、コロナ感染者の入院を制限し、中等症などの患者は原則自宅療養とするという方針転換を行った。感染拡大状況が限りなく医療崩壊に近い状態になっていることからの判断だが、この決定にあたっての国会における説明・検討は不十分なままだ。それもそのはずで、閉会中審査には時間的な制約も人員的な制約も存在する。人命に関わる事態であるため、この点はしっかりとした検討を進め、適切な医療提供を行うための予算配分を行うべきなのである。

 内外の情勢も予断を許さない。混迷の一途を辿るアフガニスタン情勢には、邦人救出のために自衛隊機が出発する事態にまで発展しているのである。同機が待機する空港のゲート付近で、複数人の死傷者を出す自爆テロが発生するというショッキングな出来事も起こっている。一触即発であることは間違いないのだから、自衛隊の最高指揮官として、総理が国会でしっかりと説明検討を行うべきだ。さらに、日本では今パラリンピックを開催している真っ最中でもある事も忘れてはならない。観戦した児童の引率教員がコロナに感染するなど、徹底した感染予防がなされているのかが強く疑問視されている。政府には説明責任があるだろう。

関連記事:アフガニスタンへの自衛隊派遣 法的根拠や経緯をQ&A形式でまとめてみた

 また与野党や全国知事会などからは、いわゆる都市封鎖・移動制限からなる「ロックダウン」が可能な法改正を求める声も上がっている。これについては私権制限を伴うものであることから、極めて慎重であるべきだろう。そもそも現状の新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく「緊急事態宣言」すら、憲法上の裏付けも国会の承認も存在しない。こうした議論にあたっては、法改正のみでどこまで可能なのかを「丁寧に」議論することが必要なのである。

 以上のように、臨時国会が召集されれば、議題は「予備費積み増し」などに収まらないのである。多くの人の命に関わるやり取りを行うべきなのに、それが行われていないことは最早異常だとしか形容できない。

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辞めるべきは臨時会召集ではなく「フルスペックの総裁選」だ

 今月22日に行われた神奈川県の横浜市長選挙は、菅首相の地元ながら、支援した小此木八郎候補は大敗を喫した。これを受けての与党の衝撃は大きく、相次いで閣僚経験者らが名乗りを上げるなど「総裁選政局」が一気に動いたタイミングでもあった。

 そんな中、過去4回の総裁選に出馬した石破茂氏は次のように述べている。

「新型コロナウイルスに対する医療の機動性・弾力性が十分でないのには、法律の問題がある。法律を制定できるのは国会だけで、残りの任期で使命を果たすべきだ

「国民の不安に応える法律の成立後、(衆院選で)国民の審判を仰ぐのがあるべき姿だ」

「去年より(感染拡大が)厳しい状況で『フルスペック』(党員・党友投票も実施)のことをやり、責任政党たる自民党が機能停止に近い状態になるのは国民の理解が得られない

石破茂氏「臨時国会開くべきだ」 総裁選は衆院選後が妥当との見解|毎日新聞

 石破氏は「臨時国会が召集されない場合」の総裁選出馬にも含みをもたせているが、この発言は極めて重要な視点だろう。総裁選が行われれば、それは一種の政治空白を生む。国民が一斉に与党に注目することから、ただでさえ存在感が薄い野党埋没しかねず、全力で総裁選を辞めさせたい。

 筆者は最早このような状況自体が、国民目線からかけ離れているだと思う。政策日程が選挙有りきで決まるならまだしも、国会議員が気にかけているのは総裁選や自分の政党の存在感だけだ。全ては10月までに行われる解散総選挙有りきの動きであり、選挙目当てでしか無い。

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予備費が足りなくなれば、持続的な財政が維持できなくなり急速な経済の落ち込みもありうる。不測の事態が起きれば収集がつかないだろう。感染拡大状況は待ったなしだ。

そもそも冒頭で解説したとおり、53条に基づく召集要求に応じないのは憲法違反である可能性が極めて高い。だがその明確な判断をする主体がないことも問題なのである。この際憲法裁判所の開設を含めた議論も必要なのではないか。

 最早、誰も国民を向いていないのではないかと思ってしまう。政府の憲法違反を許しているのは政治全体の責任である。政治家一人ひとりの向き合い方が、今まさに問われている。

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