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菅政権が終わるたった一つの理由 -発足から総裁選不出馬表明までの軌跡と末路

 2021年9月3日、就任から1年が経とうというこの日に、第99代内閣総理大臣の菅義偉 自由民主党総裁は、同月末にあるとされている党総裁選挙への出馬を見送ることを、臨時役員会の席で表明した。これにより、総裁任期満了に伴い内閣総理大臣を退任する運びとなり、菅内閣における解散総選挙は行われずじまいとなった。

 筆者は菅内閣が行ってきた政権運営を手放しでは評価できないが、前政権時には官房長官として、1年前からは総理として災害級の危機対応にあたり、困難な政権運営を行ってきた事自体には率直に敬意を表したい。

 一方で、この政権はやはり「終わるべくして終わった」のだと強く感じる。それは菅氏本人の問題というよりも、「自由民主党」という政党全体としての問題ではないだろうか。2012年の政権交代以来10年近くに渡って政権の座にいた政党は、政府・党の役職に大きな変化もなく、政策や選挙の戦い方は一貫していたものの、それ故の危うさというのは常に存在していた。

 今回の辞任劇は、明らかにその終着点だろう。この記事の無料部分では1年間の菅政権の歩みを簡単に振り返り、有料部分では菅政権が「終わるべくして終わった」点について解説できればと思う。

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急ごしらえの「国民のために働く内閣」

「無派閥総裁」の誕生

 2019年4月1日に新元号「令和」を発表した官房長官は、1年と5ヶ月後に自民党両院議員総会で拍手に包まれながら第26代自由民主党総裁に選出された。

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元号発表1年 令和おじさんと呼ばれた菅氏「ほっと」:朝日新聞デジタル
後に「令和おじさん」と親しまれることとなった。

 官房長官として8年近くに渡って支えた安倍晋三氏が、持病の悪化により総理総裁を辞任したことに伴う総裁選挙。だがこの選挙に、もともと「令和おじさん」の姿はなかった。「ポスト安倍」が誰なのかという自民党内のレースは既に2016年頃から顕著であったが、2020年8月時点の世論調査でトップを走っていたのは石破茂氏だったのである。

 石破氏は当時、従来の派閥の系譜に無関係のベンチャー派閥「水月会」のオーナーで、他派閥全体から距離をとっていた。そのため細田派の重鎮となっていた安倍氏や、麻生派を率いる麻生副総理らは、石破氏有利に事が動くことを警戒し、よリベラル色が強く公明党や野党とも折衝しやすい岸田派トップの岸田文雄氏への禅譲を画策していたのである。これらは全て自民党の各派閥の論理で動いていた。

 だが、状況は岸田氏にとっても不利に転じていく。参議院の複数区や、来たるべき衆院選の小選挙区ですら公認を巡って争う二階幹事長率いる二階派が、現金給付などを巡って岸田氏との路線の違いを鮮明にしたのだ。さらに岸田派のかつてのオーナーである古賀誠氏が、派閥と距離を取り始めたことも、大きな痛手となる。

 結果的に菅氏は総裁選出馬の意思を表明し二階氏に支援を求め、二階氏もこれを快諾。石原派、竹下派、無派閥の議員が続き、最終的には安倍氏・麻生氏が岸田氏への禅譲を諦めて細田派と麻生派も加わり、最終的には岸田派と石破派を除く全派閥の支援を取り付けた。

 ここまで派閥がまとまった背景には、菅氏自身は無派閥であり価値中立的である一方、国民の知名度や人気は高く、安倍政権の路線をそのまま継承しやすいという各派の思惑が一致したことがある。この点については後述する。

 結果的に菅氏は、石破・岸田両氏に党員票・国会議員票で圧倒的な差をつけて総裁に選出された。

「菅官房長官のいない菅政権」

 「次の長期政権が現れるまでの中継ぎ政権」などと揶揄されたが、むしろ当初におけるこの政権を的確に表していたのは「菅官房長官のいない菅政権」だろう。閣員は大部分が再任か横滑りで、各派閥からの任用バランスもほとんど変化は無かった。大きな変化と言えば官房長官なのである。安倍政権における総理の女房役、官房長官は副総理兼財務大臣である麻生氏と共に内閣の肝であった。その「菅官房長官」を欠いているということで、政権・官邸のパワーバランスは一気に危機に陥ったのかもしれない。

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 菅氏が総理として臨んだ初めての会見で掲げたのは「自助・公助・共助、そして絆」。「自分でできることは、まず、自分でやってみる。そして、家族、地域で互いに助け合う。その上で、政府がセーフティネットでお守りする。そうした国民から信頼される政府を目指す」と述べた。そしてこの内閣については「国民のために働く内閣」と位置づけ、経済政策などを始めとした政策については安倍政権の継承を掲げた。

 内閣としての課題はもちろん新型コロナウイルス感染症対応だったが、オリンピック・パラリンピック開催やポストコロナを見据えた社会保障・行政改革、バランスを基調とする外交安全保障政策など、安倍政権が残した「宿題」は決して少ないものではなかった。

 そして、この政権は発足当初から不祥事に見舞われてもいた。日本学術会議会員の任命では候補として上がった105人のうち6人を任命拒否。違法ではないものの「前例がない」「学問への政治介入」として野党はじめ一部で批判が上がった。さらに2021年2月には、菅氏の息子が勤務する放送会社が総務の高級官僚を接待していた問題なども浮上。政権自体の不祥事の他にも、政治とカネに絡む与党議員の不祥事や離党・議員辞職は歴代内閣でも最多規模で、決して順風満帆な政権運営とは言えなかった。

少なくない政策実績と「非常時内閣」ゆえの限界

デジタル改革や重大な政治決断

 菅政権には、独特のバランス感覚ゆえの決断力があったと筆者は考えている。安倍政権を含むこれまでの政権がなし得なかった改革を次々と実行に移したことは、ある意味でこの政権でしかできなかったものだろう。その主たるものの一つに「デジタル改革」が挙げられる。

関連記事:【デジタル改革関連法成立】デジタル庁 新設へ 役割と意義を徹底解説

 森喜朗政権下では「IT革命」が掲げられIT基本法などの成立につながったが、以来政権が方針の中で「デジタル分野の利活用」を積極的に推し進めたことはなかった。このデジタル関連法の成立と2021年9月1日の「デジタル庁」新設は、政権の大きな実績の1つだろう。

 改革はデジタル分野に収まらず、4300億円規模の成果を出した携帯電話料金引き下げや、温室効果ガス排出に関して2050年までに実質ゼロにすることを主とした「脱炭素宣言」も、前政権が示した方針の継承とは言え大きな成果だろう。

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 さらにもう1つ記憶に新しい点として、「黒い雨訴訟」の上告取り下げがある。76年前の広島で降った「黒い雨」による健康被害をめぐる訴訟で、控訴審では被爆者を広く認定する判断を示し、原告の住民全員84人(うち14人死亡)を被爆者と認め、全員に被爆者健康手帳が交付された。政策判断というよりも「政治決断」と言ったほうが妥当である。支持率低下の一途をたどっていた時期ということもあり「あざとい」という批判も多かった。だが動機はどうあれ、画期的なものであったことに間違いはないだろう。この訴訟の存在は「終わらない戦後」を構成するものの一つだった。政治の取るべき姿勢を示したことは紛れもない事実なのである。

止まらない感染拡大という、「わかりきっていた誤算」

 一方で、特に2021年に入ってから新型コロナウイルスの感染拡大は収まる様子を見せなかった。ワクチンの確保では一定の成果を上げたものの、実際の供給では分配効率に自治体ごとに差が出たことや、予想を遥かに上回る若年層のワクチン需要などが浮き彫りとなった。新型株の増殖や、ここに来て学校感染のリスクが高まったことなども、多くの国民の不安を煽った。そうした中での東京オリンピック・パラリンピックの開催も、国民の目には決してよく映らなかった。

 さらに、乱発された緊急事態宣言や酒類提供の制限など、国民生活に直撃するような政策判断が相次いだことも事実だ。こうしたことは、決して菅氏の予想していなかった事態ではないだろう。むしろ十分に予想できた上で、賭けに出たのだろう。そしてその賭けはあまりにも大博打であり、とても勝てる見込みのある賭けではなかった。

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 結果として政権支持率は低下の一途をたどり、2021年4月の衆参補選・再選挙では野党候補に全敗。ついには菅氏の地元である横浜市の市長選挙で、直前まで閣僚を務めていた菅氏の直系とも言える候補が野党候補に惨敗。

 国民は菅政権の「成果」よりも「失敗」を直視し評価したのだった。「たら・れば」の話は政治の世界で考えられるものではないものの、こうした結果は非常時内閣であったからこその限界でもあるのだ。

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菅政権が終わるたった一つの理由

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